シーン1

 「カナ。これから船に乗るのよ。」と電車を降りると、ママは言った。

カナは小学校に入って初めての夏休みを、ママのお母さんが住んでいる島で過ごすことになったのだ。東京から新幹線に乗ったときは、とても晴れていたのに、こっちに来たらずいぶん曇っていた。
知らない街の知らない駅で、カナはママの白いロングスカートのすそを、気づかれないようにキュッと握った。

「ん〜、懐かしいにおい」と駅前から港へと続く石畳の坂道を降りながら、
ママは途中で立ち止まって言った。カナもつられて深呼吸をすると、
確かに不思議なにおいがした。

「ねえ、これなぁに?」
「これはね?海のにおいよ。」とママは少し優しい顔になって教えてくれた。

 二人は坂を降りると港へ出た。たくさんの漁船が並び、干した網のにおいがする波止場を歩いていくと、島に行く渡し舟の乗り場が、港の隅っこにあった。自転車に乗った人たちが、そのまま走りながら船に乗っていくのが見えた。
「ママ、アレ!」
「そうよ、カナ。これからあの船に乗るのよ。カナは船に乗るの初めてだよね。」
「うん。」カナはちょっとワクワクしてきた。

「カナ。切符持った?」
「うん。ほら!」カナは誇らしげに切符を見せた。
「出来るね?あのおじさんに見せるのよ。」
「大丈夫!」とカナはちょっと強がって言った。
「あら?カナ。」
 とママがカナの左手を取ると、中指にさっき食べたお弁当のふたを止めていた赤い輪ゴムがぐるぐる巻きにしてあった。
「いつもこんな風にして・・・。」
 とため息混じりにいいながら、ママは輪ゴムをカナの指からはずした。
「う〜ん。・・・・」カナは怒られているのかどうか分からなかったので、
 曖昧に返事をして、その赤い輪ゴムをママから受け取った。

改札を受けて、船の中へと入った。島に渡る小さな船の客室は、3人がけのベンチが2列にならんでいて、自転車から降りた中学生や、買い物かごをもったおばあさん達でいっぱいだった。ママとカナは客室には入らず、船のへさきに近いところに立って、船が走りだすのを見ることにした。

「いい?風がバ〜ンと吹いてくるからね。帽子が飛ばされないように気をつけるのよ。
ほら、ひも結べる?」
とママは、カナの白い帽子のあごひもを指差した。
 カナは大きめにうなづいて、

「カナ、出来るよ!」と言った。
 カナの短く
2つに結んだ髪の毛が帽子に当たって、ちょっと揺れた。
 さらにカナは背中のリュックを下ろして

「・・・ぼうしがとばされないように、きをつけるのよ。ボビー。」と言った。
 リュックからは赤い熊のぬいぐるみが、ちょこんとのぞいていた。

その頭にはフエルトで作った白い小さな帽子が、赤い耳の間にちょこんとかぶせてあったので、ママのかぶっている白のむぎわらぼうし、カナのかぶっている白い園児帽と並ぶと3人おそろいに見えた。

 ボビーとはカナの5歳の誕生日に、パパからもらったぬいぐるみのことだった。
カナは幼稚園ではボビーとず〜っと一緒にいた。
でも今年からは、ちょっとお姉さんになったので、
『学校にボビーを連れて行くのは赤ちゃんのやることだ』と言われたから、
仕方なくいつもはおうちに置いてあった。
でもこの旅行ではずっと一緒だ。ボビーをなでているとちょっとパパの匂いもする。
でも、ここにはパパはいない。ママとカナだけでこの船にいる。

 ボボボボボボ!

 体が小刻みに揺れた。船が動き出した

 風がゆっくり、そしてだんだん強くカナの帽子を揺らしていった。ノースリーブのワンピースがバタバタと音を立て、さっきまでの蒸し暑さが吹き飛んだ。
「ホント。ママ!すごい風!バンって。」
「でしょ?ボビーの帽子も大丈夫?」
「うん!」
叫ばないと自分の声が聞こえない。カナはボビーをリュックごとぎゅっと抱きしめていた。そんなカナの肩をママの手がふんわりと支えた。風が強いせいか、ママの手は今日の朝に東京駅で新幹線がホームに入ってきたときにカナを支えた時よりも、ちょっと温かく感じた。

 船は20分ほど西へ走った。すっかり風に当たったので、
カナはちょっと疲れて甲板のベンチに腰掛けた。

「カナ。あれがママの島よ。」
ママは潮風ですっかり冷えたカナの肩をまた抱きしめながら指差した。
カナが目を細めながら遠くを見ると、ママの島は深緑色をしていて、曇った夕方の空のグレーの雲が、にじんだようにその周りに浮かんでいた。

「ボビー、あれがママの島よ」
カナもまねをして言ってみた。風が少しずつ緩やかになっていった。島が近づいてきた。


                                                    (第2回へ続く)

   シーン2

 船が島の小さな港に着くと、ママはいつの間にか大きなサングラスをかけていた。
チャポンチャポンと波の音が静かに聞こえるママの港に、ゆっくりと大きな足取りで降りていくと、船から降りた自転車が町のほうへいっせいに走り出して、カナたちを追い抜いていった。
人ごみが切れると、その向こうにママのパパ、「ジイジ」がいた。

「おつかれさん。」
「うん。ごめんねェ。急に。」
「ああ、ええよ。雨にならんでよかったなァ。明日やったら雨やったで。」
「相変わらずビール飲んでるの?」
「ああ、見ろ、この腹。ハハハハ。」
ジイジはポンと一つお腹を叩いて、それから、しゃがみこんでカナを覗き込んだ。
「カナ、大きなったなぁ。ジイジのこと覚えとるか?」
「・・・うん。」
「ん?疲れたか?」
「うん。」
「そうかそうか。お、かわいいぬいぐるみやな。」といいながらジイジはボビーの帽子をつまんで強く引っ張った。
「あ!」カナはちょっとジイジを睨んだが、ジイジは気がつかなかったみたいだった。

 ジイジの白くて四角い軽トラックは、二人乗りで後ろに荷台がついていた。ジイジはママの荷物をポンと投げるように荷台にのせた。それを見てカナはあわててリュックからボビーだけを取り出して、ジイジに渡した。ジイジは予想通りカナのリュックも威勢よく放り投げて荷台にのせた。ガチャ!という音がして、カナのリュックが少し荷台で跳ねた。

 車の泥だらけのシートの助手席にママが座り、さらにその膝の上にカナが座った。
「よ〜っし!」と気合を入れてジイジがエンジンをかけると、
軽トラックは返事をするようにブルンと
一つ大きく揺れた。

海沿いの道を走ると、車はボコボコ跳ねた。
カナはママのひざの上に座ってシートベルトを一緒に締めているのに、すっかりお尻が痛くなって、
ボビーをぎゅっと抱きしめた。
ママはジイジと何か話しながら笑っているが、カナの知らない人の話みたいだった。
ちょっと気分も悪くなってきて、カナは、ボビーの毛をなでながらパパの残り香を探していた。

                                         (第三回へ続く)


 シーン3

 ジイジの家は坂の途中にあった。土の匂いが濃厚な玄関口に白い軽トラックがようやくたどり着いて止まると、そこではママのおかあさん「バアバ」が待っていた。
「おお お帰り真理子。遠いところをお疲れさん。」
「かあさんも元気そうね。」
「そうやァ、まだまだ若いンよ!・・・いらっしゃいカナ。久しぶり。バアバ覚えてるかい?」
「うん。」カナは凄く眠たかったのだけど、頑張って精一杯大きな返事をした。

その夜、食卓にはちらし寿司や大きな焼き魚、お刺身やてんぷらが並んでいた。けれど、カナはとても疲れていたので、頭がボ~っとしていてあまり食べられなかった。
ただ、ジイジが「ビールくれ」と何度も何度も言っていて、
そう言われたママがビンからジイジのコップにビールを注いでいた様子は、
カナがそれまであまりお酒を飲む人を見たことが無かったので、よく覚えていた。

 カナはいつの間にか眠っていた。
でも眠りながら、ママと、ジイジとバアバがお話していたことは、うっすら聞こえていた。
そのヒソヒソとした声が、チクチクと耳に残って、カナは気持ちよくは眠れなかった。
だけど、一生懸命に眠った。ボビーを抱きしめながら。

 カナはうっすらと夢を見た。
カナはパパのひざの上で、ボビーを左手に抱えながら、色紙の裏にクレヨンで絵を書いていた。でも青いクレヨンで、塗っても塗ってもぜんぜん青くならない。
「あれ?ねえパパおかしいよ?」と思って振りむいてパパを見ると、
いつの間にかパパがいなくなっていた。
「あれ?」と背後をさらによく見ると、奥のほうにある台所で
パパとママがちょうど
さっきのバアバとジイジと同じように声を潜めて、
なにやら冷たい話し合いをしている影が見えていた。

                                                   (第4回に続く)

 シーン4

 目が覚めると、カナは見知らぬ布団の上で大汗をかいていた。寝ていたのに、まだ体が疲れている感じがして、カナはホ〜と息を多くはいた。よく見るとボビーがいない。
「あれ?」と起き上がってあわてて確認すると、ボビーは部屋の隅の机の上に帽子をかぶったまま無造作に座っていた。

階段を登る足音がして、
「あら、カナおはよう。カナは良く寝る子やねぇ・・。」とバアバが笑いながらやって来た。
「バアバおはよう」
「ん、おはよう。よう眠れた?」
「うん」
「そうやろうねぇ、さっき真理子が随分怒ってたけど、カナは全然起きんかったからねぇ。よっぽど疲れてたんやろうねぇ。」
カナはそれに答えずに、起き上がって、ボビーを取りに行った。
「ボビー、おはよう。ようねむれた?」とバアバのまねをしながら
あご紐を解いて
ボビーの帽子を外した。

「カナ。ここが、あんたのママとカナの部屋やからね。」
と、バアバに言われて、カナははじめて部屋をしっかりと見た。
部屋は8畳ほどの和室で、部屋の隅に大きな座布団が数枚、大人用の椅子と机、そしてカナ用の小さな文机が置いてあった。
「よいしょ!」とバアバがカーテンを開けると、外は雨が降っていた。
パジャマから部屋着に着替えて、窓から外を見てみると、ここは2階らしく、家の前の畑が茶色に滲んでいて、その先にある海は灰色の雲に覆われて、何もかもが暗かった。

「カナ、やっと起きたのね。」呆れた調子で話しながらママが部屋に入ってきた。
「あ、おはよう。」
「おはよう。疲れた?カナ。」
「ううん。」
「うそ。さっき何度起こしても全然起きなかったわよ。」
「うん。」
ママは、カナが寝ていた布団を畳み始めた。カナはそういう光景をはじめてみたので、不思議そうにじっくりとママの様子を見ていた。ママは立ったままのカナを見て不意に言った。
「カナ。ここはおうちじゃないんだからね。ダラダラしないで!パジャマも畳んで」
「うん。」
「宿題もちゃんとするのよ。ちゃんとカナ用の机も出してもらったんだから。」
「もう、分かってるってば!」カナは、ちょっと大きな声を出した。
「カナ、ママとの約束覚えてる?」
「覚えてる!」
「言ってみなさい。」
「・・・・『道には飛び出さない』『知らない人にはついていかない』『宿題はきちんと毎日する。』。」
「そう!さぁ、早く朝ご飯食べなさい。」
「はぁい・・・・・。」カナは追い出されるように、ボビーを抱いて部屋を出た。

滑り止めのゴムがついた、暗くて狭い階段を下るとすぐのところにある和室の居間では、
ジイジが扇風機の前で新聞を読んでいた。
その奥にあるダイニングに行くと、カナの分の朝ごはんが、
網で出来たテントみたいなものに入れられて置いてあった。
カナが不思議そうにその網を見ていると、バアバが台所からやって来た。

「ねえ、これなあに?」
「ああ、それはおいてあるご飯に虫が飛び込んでこないようにするものヤァ。」
「ふ〜ん。」といいながら網を取ると、アジの開きとかぼちゃの煮つけがあった。そこへホカホカのご飯と、大根と油揚げの味噌汁をバアバがもってきてくれた。
「いただきま〜す。」とかぼちゃをほおばると、かすかに甘い、不思議な味がした。
「おいしいかい?」
「うん!」カナは元気よく答えた。
食卓のしょうゆの入れ物に、なぜか古い輪ゴムが巻いてあった。
カナはなにげなくその輪ゴムをとって指に巻くと、
ひからびて弾力がなくなっていてボソッっと言う感じで切れた。
 

 カナが朝ごはんを食べ終わるとママは、
「ママが育ったうちを案内してあげる」と言い出した。
カナとは雨が降る中ママに連れられてジイジの家の周りをかさを指しながら歩いた。

ジイジの家は坂の途中にあった。坂の上のほうはみかん畑になっていて、ジイジは晴れた日には朝ごはんを食べると、あの白い四角い車をボコボコと跳ねさせながら登っていくらしい。
バアバは、坂の下のほうにある畑で、たまねぎやかぼちゃ、ジャガイモなどを作っていた。
家は母屋と「古いおうち」があり、「古いおうち」のほうも
2階建てで、
今は全然使われてないけれども、一応きちんとお部屋も台所もトイレもあった。
そして唯一使われている土間には、いっぱいみかんの箱が積み上げてあった。
秋になると、ここで箱詰めの作業をするらしい。

ママは
「ママはこっちのおうちで育ったのよ」と言って、とても懐かしそうにしていた。

でもカナは、ちょっと暗くて古くて、なにより湿気の匂いとカビのにおいと、
古いトイレの匂いがするから、あんまり「古いおうち」は好きになれなかった。

だから、カナは一通りバアバのうちを見学すると、母屋にすぐ戻ってお部屋に閉じこもった。

カナのリュックには、ボビーと着替えのほかに、学校の宿題が入れてあった。
算数とか国語のドリルのほかに、絵日記があった。
持ってくるのが大変だったけれど、ちゃんとパパがくれた
12色入りの色鉛筆も入れてあった。
その箱の中で、赤い色の鉛筆だけずいぶん減っていた。
それはカナが毎日ボビーの絵ばかりを描いていたからだった。

絵日記の一日目は 「カナとボビー」

二日目は 「ボビーとおやつをたべた」。

三日目は「ボビーとりょこうすることになった」。

四日目は「ボビーをリュックにいれた」

そして新しく「ボビーとふねにのった」と書き始めた。

 

 『ボビーとふねにのった』

ボビーとふねにのりました。

あさはやくにおうちをでて、ママとおべんとうをしんかんせんで、おべんとうをたべました。ふねはじてんしゃにのった人ものっていました。かぜがきもちよかったです。

ボビーのぼうしがとばされないようにむすんであげました。ボビーもうれしそうでした。

それから3日間、雨が降ったこともあって、
カナはほとんど家から出ずにボビーのことを書いた絵日記ばかり書いていた。
赤い色鉛筆はますます減った。

ママは仕事を探して、毎日船で渡って駅の向こうの町まで通っていた。
だからカナはひとりぼっちだった。

 カナには、いつのまにか輪ゴムを指にぐるぐるに絡めてしまうという癖があった。
ママに言わせると、
「カナはなんだか分からないけど、赤ちゃんのときから輪ゴムを触らせると泣き止んだのよね」だそうで、カナ自身はいつごろから始めたか覚えていない。
ただ色のついた輪ゴムを見ると嬉しくなる。特に赤い輪ゴムは大切にとっておいた。
その輪ゴムをカナは、今日もいつの間にか左手の人差し指と中指に
ぐるぐると絡みつかせていた。

「ボビー、ほら見てごらん。海だよ。」とカナは絵日記を書きながら、
心の中でボビーとお話をしていた。

『カナちゃん、あれはなあに?』
「あれ?ああ、あれは船よ。乗ってきたじゃない。」
『あの船はどこへ行くの?』
「駅のほうへ行くのよ。」
『駅?』
「電車に乗って広島に行って、それから新幹線で大阪に行って、
それから・・それから、それからね、東京に行くのよ。」

『とうきょう・・。』
「うん、東京・・・学校があって、幼稚園もあって、先生がいて、
アキちゃんのおうちも、ヒロくんのおうちも、
マリちゃんのおうちもある。
それから、会社があって、おうちがあって・・・パパがいるの。」

『・・・・・』
「なんでカナはここにいるんだろう?・・・・。」

輪ゴムがパチンと音を立てて、カナの指からはじけて飛んで行った。

その拍子にカナの目から、涙が後から後から溢れてきた。
絵日記帳の赤いボビーの顔がちょっとにじんでしまった。



                                       (第5回へ続く)

   シーン5

「カナ!カ〜ナ!」
バアバがカナを呼ぶ声がした。いつの間にかカナは寝てしまっていたらしい。
寝ぼけ眼で辺りを見ると、雨が上がっていた。

窓の下からバアバが叫んでいた。なんだろう?とカナは窓を開けた。強烈な日の光が、夏のぬくもりの塊とともに窓から飛び込んできた。
シャーシャーとなくせみの声が一斉に聞こえてきて、起きたばかりのカナは、方向感覚をちょっと失ってふらついた。

 カナとママの部屋は母屋の2階だった。はじめて晴れた日に窓から眺めると、遠くの島まで日に照らされて、くっきりと海の様子が見えた。海には白い漁船が小さく小さく見えてなんだか夢で見た風景みたいだった。
「カナ!ちょっと降りて来ぃや!」
これがママなら、『宿題をやってるから後で!』と、
ちょっとウソをついてでも断ってしまうのだが、
バアバの機嫌を損ねたくなかったので、カナはボビーを抱いて庭へと降りていった。

「カナ、あんなぁ、ちょっとお手伝いして欲しいことがあるんやぁ。」
と麦藁帽子のバアバが言った.
「うん、いいよ。」
「バアバと一緒にな、これをもってきて欲しいねん。」と指差した先には、古いほうのおうちの軒先にいっぱいつるしてある、たまねぎがあった。
「カナ、そのお人形はお留守番な。」
「ううん、ボビーは連れて行く。ずっと一緒なの。」
「あら、困ったねぇ・・。じゃあ、待ってて。」
と、バアバは母屋に入り、白くて細長い布を持ってきた。

「じゃあ、カナ、そのお人形をおんぶさせたろ。」
と、いうと魔法のようにクルクルとカナの体にひもをまきつけ、ボビーをおんぶさせてしまった。

「うわぁ、これなに?」
「これはおんぶひも。バアバもあなたのママをこうしておんぶしたんよ。」
「じゃあ、これでカナはボビーのママなの?」
「そうそう。」とバアバはにっこりと微笑んでくれた。

「さあ、じゃあたまねぎ持って行くで。」
とバアバはたまねぎが
4~5個入った藤の手提げかごをカナに渡した。
その意外な重さにカナは思わずちょっとよろけたけど、しっかりと踏ん張った。

 かごをしょったバアバと、ボビーを背負ったカナが大またで坂を下りていった。
海からの風がフワッと下から吹き上がってきて、カナのうす緑色のスカートから胸元へ
気持ちよく抜けた。
空は今まで見たこともないぐらい青く、そこに真っ白い雲が、
手が届きそうなぐらいにくっきりと浮き出て見えた。
カナははじめてつけた、おんぶひもの心地よい重さと、お日様のにおいを浴びて、
思わずスキップした。そんなカナを歓迎するかのように、
風がまた吹いて、道端の赤いケイトウの花が手を振るように揺れた。

♪ 月夜の海に 二人の乗ったゴンドラが

 音も立てずに 滑っていきます ♪

バアバは、鼻歌で古い歌を歌っていた。そのノンビリとしたフレーズが耳について
カナも歌詞はよくわからないけれど、その歌をとても心地よく聞きながら歩いた。
バアバは歌いながら、海まで見える汐見坂の途中にある交差点を右に曲がって、
石造りの
古い家が立ち並ぶ一角に出た。
家々では、それぞれ軒先になにやら魚の開いたものを
干してあったり、
白い発泡スチロールが置いてあったりする。

「この辺はな、漁師さんのうちが多いんや。ほら、見てみぃ。お魚さんいっぱい!」
見ると、金属の格子にカタクチイワシが一列に並べていっぱい干してあった。
風にゆらゆらといわしがゆれ、時折虫達の羽音がするのだが、
人の気配がぜんぜんしない不思議な光景だった。

                                            (第6回に続く)

   シーン6

「こんにちは!」
とバアバはそのうちの一軒の家に向かって、大きく叫んだ。
すると家の奥から、バアバと同じぐらいのおばさんが出てきた。

「あらあら、こんにちは。今日も暑いねぇ。」
「ほんまに・・。」
「あら?この子、お孫さん?可愛いわねぇ」
「そうなの、カナ言うの。カナ、おばさんにご挨拶は?」
「こんにちは。カナです。」
「はい、こんにちは。やっぱり女の子はええわねぇ。じゃあ真理子ちゃんも帰ってきてるん?」「うん、何日か前にカナをつれて。」
「そう・・。あの、絵描きのだんなさんは?」
「ハハハ、ちょっとわけありで・・。」
「ふうん。まあ、若いうちは悩んだらエエねん。
うちの一番上の孫も、漁師のお婿さんもろうて
2年目やねんけど、
まぁいろいろ言うとるわ。『ビール!ビール!ってうるさい』言うて・・・
あんたんとこみたいやな。」

「そうやねん。うちのだんなは昔から『ビール!』ばっかり・・ってうちはええネン。
そうか、上の二人のお孫さんと、一番下のケンちゃんって、いくつ離れてるの?」
14歳かな?で、その下の妹とケンジが11歳離れてんねん。
そやからひとりで遊んでて、ちょっとかわいそうやネン。」

「ほな、カナと遊んだってな。」
「そやね。なぁ、カナちゃんは、かわいいわぁ。子供は女の子に限るわ」
「ハハハ。ホンマやねぇ。」
「カナちゃんはいくつ?」

と、おばさんはカナに聞いてきた。

6歳。」
「じゃあ 年長さん?」
「ううん、1年生。」
「そう、可愛いわぁ、お人形さんおんぶして・・」
そういって、おばさんはカナのほっぺをちょっとなでてくれた。
かなりごつごつとしたシワだらけの手だったけれど、カナは不思議といやじゃなかった。

「あのね、今日はたまねぎ。」とバアバが背負いかごを下ろして、
たまねぎをおばさんに、いくつか渡した。

「あら、いつもすンませんねぇ。」
「カナ、たまねぎをおばさんにあげて。」
「ん?・・・ああ、うん!」カナは、たまねぎの入った籠をおばさんに渡した。
「えらいねぇ。ちょっと重かった?」とおばさんはちょっと笑った。
「ううん。全然重く無かったよ!」とちょっとカナは、口を尖らせて、強がって見せた。
「じゃあ、ちょっと待ってぇな。」
そう言って、おばさんはお土産に魚の干物を何尾か、手提げかごに入れて、カナに手渡した。

「すみませんねぇ。」とバアバがお礼を言った。
「ううん、こちらこそ。カナちゃん。おばさんところのお魚、おいしいんやから!明日の朝楽しみになぁ。」
そう言うと、おばさんはまたカナのほっぺたをなでてくれた。

                                       (第7回へ続く)


   シーン7

その後、バアバとカナは2軒別のおうちを回って、たまねぎと交換で真っ赤なトマトと、
大きなキャベツと絹さやの束をもらった。
バアバは野菜を自分の背負いかごに入れて、カナに魚の干物が入ったかごを持たせた。

「すごいね、バアバ。いろいろもらっちゃったね。」
「そうやね。今日のご飯はおいしいよぉ!カナ、ほな急いで帰ろ!」
「うん!」

なんだかカナもうれしくなって、大きな声で答えた。

♪ 月夜の海に 二人の乗ったゴンドラが

  ルルル〜 ララララ〜 ルルル〜ル行きます〜♪

カナはちょっと軽やかに、バアバの鼻歌にあわせて
スキップをしながら坂道を登っていった。
のぼりだが、少し涼しくなった海からの風に後押しされて
ズンズン上っていけるような気がした。

ふと前を見ると、坂の途中の石に腰掛けている真っ黒に日焼けした、
天然パーマで半ズボン姿の男の子がいた。
その男の子の肩の上に
1匹、ひざの上に1匹ネコがいて、
さらに周りには7〜
8匹のネコが集会を開いているように、半円状に集まっていた。
だから遠めで見ると、猫がお地蔵様に集まっているみたいに見えた。

「わぁ、ネコさんいっぱい・・。」ちょっとうれしくなってカナはつぶやいた。
「あらケンちゃん。」
「こんちは、」男の子は、あごで曖昧に挨拶をした。
「すご〜い!」カナは猫に囲まれている男の子を見て言った。
「さっき、これケンちゃんちでもらってきたんよ。」とバアバは言った。
「スゴイ、すごい。カナにもネコさん抱かせて。」とバアバにかごを渡して、
カナは男の子と猫たちに走り寄った。
でもカナが猫に近づいても、猫はカナから逃げてしまった。

「あれ?ねこさん。こっちだよ。こっちだよぉ。」
「猫は魚が大好きなんや。うちには魚がいっぱいあるから、
においがしてネコが寄ってくるんや。」と、男の子はさも当然のように言った。

「ほら。さわるか」
「うん、ネコさんさわりたい」
「ほれ。」と男の子は自分が抱いているネコの頭をカナになでさせた。
ネコはのどでクル〜ンと鳴いた。

「わ〜可愛い。」
「カナ、この子さっきの魚のおばさんのうちの、ケンジ。・・ケンちゃんいくつだっけ?」
「9歳や!」
「何年生や?」
3年生や!」
「カナご挨拶は?」
「こんにちは。カナです。6歳です。」
「あ、どうも。」カナのほうを見ずに、ケンジはなんとなくぺこりと頭を下げた。

「カナはな、夏休みやから、東京からきたんや。仲良くしたってや。」
そういうと、バアバはカナの頭をポンと叩いて、
「じゃあ、カナ行こうか。」と歩き出した。カナは、バアバにくっついて歩きながら
振り返ってみると、ケンジはあいかわらずネコだらけになっていた。
   

『ネコさんとおとこのこ』

きょう、バアバといっしょにさかの下のまちへいきました。
タマネギをもつのはおもかったけど、バアバとあるくのは、けっこうたのしかったです。

さかをのぼっていると、男の子がいっぱいのネコさんとあそんでました。
カナがさわるとにげちゃうけど、おとこの子がネコさんを、
カナにさわらせてくれました。
ネコさんはクル〜ンってなきました。

おとこの子はケンジくんという3ねんせいです。ネコがすきみたいです。

 

カナはその夜、初めてボビーが出てこない絵日記を書いた。


                                            (第8回に続く)

  シーン8

「ネコの男の子のうちに行ってもいい?」
カナは翌朝、絹さやのお味噌汁と、あじの開きの朝ごはんを食べると、バアバにお願いした。
「ああ、いいよ。」バアバはやさしく答えた。
「カナ。今日の分の計算ドリルが終わってからね。」とママが横から口を挟んだ。
「もうやった!」
「うそ、カナ。まだ朝じゃない。」
「昨日やった。」
「ママ知ってるわよ。いつもそう言って絵日記しかやってないじゃない。」
「はぁい。」カナはふてくされて、とりあえず返事だけした。

 

 ジイジが、軽トラックに乗って、ボコボコ跳ねながらみかん山へいくのを、
バアバ、ママとカナの
3人で見送った。
その後、ママも町でお仕事を探すために、船着場のほうへと出かけていった。
ママが坂を下りて見えなくなると、カナは急いで部屋に戻り、
ボビーを抱いて外に出てきた。畑で、バアバが作業を始めようとしていた。

「どこ行くン?カナ。」
「ネコの男の子のうち!」
「あんまり遅くなったらアカンよ。」
「うん、バアバ。行ってきます!」
と外に飛び出したカナは、海に向かって思い切り深呼吸をした。

お日様をいっぱいに浴びた、いいにおいのする風は、
カナの二つに結んだ髪の毛を撫で、やさしい涼しさを与えてくれた。
半ズボンをはいたひざの裏側には、地面から沸きあがってきた夏の熱が当たって、
カナはすぐにでも駆け出したくなった。

♪ ララ〜ラ ラララ〜 二人ののった ラララララ〜♪

カナは、昨日バアバが口ずさんでいた鼻歌を歌いながら、
手を広げて汐見坂を駆け下りていった。

交差点を右に曲がり、石の家のあたりに来ると、猫の姿が急に多くなった。
カナはなんだか無性にうれしくなってきた。
手の届くところにいるネコを探すと、日のあたる石段の踊り場にいるネコが、
あくびをしているのが見えた。

カナはそ〜っと、近づいた。するとネコは気配に気がついて、
カナをチラッと見つつ、逃げていってしまった。

「ああ、行っちゃった・・。」
すると、別の三毛ネコがカナの足元にやって来た。
「ああ、来た来た。」
とカナはそのネコをいとおしげに撫でた。
毛の間からお日様のにおいが立ち込めていた。
カナはなんだか優しい気持ちが湧き出てくるのを感じた。
するとそのネコは、カナをチラッと見て、誘うかのようにゆっくりと歩き出した。

「ん?どこ行くの?」
とついていくと、ネコはケンジの家の前にやって来た。

「あれ?」見るとケンジは、おばさんといっしょに
アジの開きを洗濯ばさみで挟んで干す作業をしていた。

「あら?カナちゃん。」おばさんがカナを見つけた。
「こんにちは。」
「こんにちは。あ、これはおばちゃんの孫のケンジね。ケンジ、カナちゃんにあいさつしな。」「おぉ。」ケンジはちょっとあいまいにアゴをちょこんと下げた。
「カナちゃん、ケンジと仲良うしたってや。ケンジよかったなぁ。お友達できて。」
「昨日はありがとう。ケンジ君。」カナは元気に言った。
「・・・・・・。」ケンジはちょっと照れて、モジモジした。
「なんや?知ってるのんか?」おばさんが不思議そうにカナにたずねた。
「うん、昨日ネコをさわらせてもらったの。」
「あれ?なんやケンジ一丁前に照れて。」
「照れてねぇって。」ケンジはおばさんの手の甲でこつんと叩かれて、つぶやいた。

「カナちゃん、どうしたの?」
「うん、ネコさんがね。」
「ネコさん?」おばさんとケンジが見ると、さっきのネコが、アジの開きを狙っていた。
「ああああ!こらこらこら」とケンジが急いでネコを追っ払った。
「そうか、ネコを追ってここまで来たの?」
「うん。ねえ、おばさんたちは何してるの?」
「これはね、お魚を干してるンよ。こうするとお魚がおいしくなるんよ。」
「あ、朝カナ食べたよ。おいしかった!」
「そうかい・・・。うちのお魚は一番や!」
とうれしそうにおばさんが言っていると、
ケンジが二人の間に入ってきた。

「なあ、このヌイグルミ、なに?」
「これは、ボビー。あたし、ボビーのママなの。」
「へ〜、」とケンジはボビーにさわろうとした。
「あ、こらケンジ。手洗っとぉいで。魚のにおいがつく。」
とおばさんはケンジを手の甲で小突きながら言った。

「いて!」
「ねえ、おばさん。魚のにおいがついたらネコさんって寄ってくるの?」とカナは尋ねた。
「え?うん。」
「昨日ね、ネコさんがケンジくんにいっぱい集まってたの。」
「そうかい・・・。あ、じゃあ、ちょっと手伝っていく?これ手伝うとネコ、
イヤっちゅうほど集まるよ。」

「ホント?やるやる!」カナは大きく手を上げて答えた。

作業は簡単だった。カナがケンジに魚を渡す。ケンジが洗濯ばさみで魚を挟む。
おばさんがそれを吊る。そういう流れ作業だった。
でもカナが来た時点で、作業は実はもう終わりかけていたので、
15分ぐらいで全部終わってしまった。

「じゃあ、手を洗おう。」
「え?でも洗っちゃったらネコさん来ないんじゃない?」
「大丈夫。もう服にもにおいが染みてるから、いっぱい来るよ。」
と、背伸びをしながら
おばさんが言っているそばから、ケンジの足元にネコがやって来た。

「ほら、早く洗おう。」
と、おばさんがケンジとカナをせかして、屋外にある蛇口で
手を洗わせた。

じゃあ、カナ。『ネコだまり』に行こうや。」
「『ネコだまり』?」
「うん、そや、ネコがいっぱい日向ぼっこしてるとこなんや。」
「いくいく!」
「じゃあこっちや!」
とケンジは言うが早いや、細い石段を山の上のほうへ駆け出した。

「まって〜!」カナも必死にケンジの後姿を追いかけた。

日陰になっている曲がりくねった石段を登り、湿った細い石畳の路地を抜けると、
いきなり日のあたる墓地へと出た。

「うぁぁ!お墓!」
「カナ、こっちやこっち!」とケンジはカナの手を引いて、
墓石の間の急な階段を、さらにくねくねと上っていった。
空気が流れを止めたような暑さがして、カナはしきりに汗をかいた。
特にボビーを抱いている左手はびっしょりと濡れていた。

「ほら!」

とケンジが指を指すと、墓地の水屋がある、小高い見晴台になっているところへ出た。

海のほうから吹く風が、急にカナのシャツを通り抜けた。
両手を広げてカナはその風を
受け止めた。
そこでは、日当たりのいい木陰にネコが鈴なりになって、思い思いに毛づくろいをしていた。

「な、ここが『ネコだまり』。」
「うわ〜、いっぱいいるね。」
と言っていると、カナの足元にネコが
12匹と寄ってきて、
「ここに座れば?」と誘うようにカナを見た。

カナは木製のベンチに腰掛けた。

『カナちゃん、見てごらん、いい眺め!』

と、ボビーがしゃべりかけて来た気がして、
よく下を見ると、島の港がクロワッサンみたいな形をしているのが一望できた。

「ほんとだね、ボビー。」
「ん?なぁに?」とケンジがカナに聞いた。
「あ、今ボビーに言ったの。」
「え?ボビーってしゃべるン?」
「カナには聞こえるの。」
「ふうん。」とケンジはボビーを覗き込んだが、
「なンも聞こえへん・・。」
「さっきね、『ここはいい眺めだ』って言ってたの。」
「へ〜、でもまあ、それはほんまやな。」

お昼前の海は、キラキラと日の光を反射して、陸地よりも光って見えた。
眩しさに目を細めながら、眺めていると、
カナよりも海側にいる猫達のシルエットが、ゆらゆらと陽炎に揺らめいて見えた。

カナはボビーを横に座らせた。ボビーの黒い瞳にも青い海と白い雲が映っていた。

「俺のオトンはナ、漁師やネン。」と、ケンジがボソっと言った。
「え?りょうし?」とよく聞こえなかったカナは聞き返した。
「漁師。お魚を取る人や。ほら、あそこにいっぱい船が見えてるやろ?」
「うん」
「あれは全部漁師さんが魚を取ってる船なんや。」
「わ〜、じゃあケンジ君のパパの船もあるの?」
「いや。俺のオトンはああいう船じゃなくて、もっと大きな大きな船に乗って
外国に行ってンねん。」

「大きな大きな船?」
「そうや。それはそれはすっごくでっかいンや。」
「どのぐらい?バスぐらいあるの?」
「もっとや。」
「え?じゃあ象さんぐらい?」
「もっともっと大きいンや。」
「え?ボビー分かる?・・・・え?『くじらさんぐらい大きい』?
そんなぁそれは大きすぎるよぉ。」

「そうや。クジラよりも大きぃンや。」
「えーホント!」
「そうやネン。そんな船で外国で大きな魚を取ってるんや。
だから春に釣りに行ったら
帰ってくるの9月やネン。」
「へ〜、すごいんだね。ケンジ君のパパ!」
「おう!」
ケンジは本当に誇らしげに言った。


「ねえ、ねえ、ねぇねぇ!カナのパパはね、絵がとっても上手なんだよ。
でね、カナのお誕生日の日にボビーをカナにくれたの。
だからね、カナはいつもパパに見せられるように、ボビーの絵を描いてるの。」

と、カナは一息にパパの話をした。
「カナの親父は島に来てるんか?」
「ううん。パパは東京でお仕事してるの。カナ、ママと二人だけでこの島に来たから、
パパにこの海を見せてあげたいナァ。ねえボビーもそう思うでしょ?」

ボビーがかすかに笑った気がした。

そこへ、いきなり水しぶきが飛んできた。
「きゃ!」とカナが叫ぶと、ケンジが水道から水を出して、
手のひらで蛇口を塞ぎ。霧状に飛ばしていた。

「ちょっと!ケンジくん!」
「すずしいやろ?」
「きゃ〜!」カナは逃げ惑った。ケンジはなおも逃げるカナめがけて、霧状に放水した。
やがてカナのシャツはずぶぬれになってしまった。

ケンジのシャツもずぶぬれになっていた。

「つめたいよぉ」
「カナ、ちょっと見てみぃ。」
とケンジは蛇口を思い切りひねって、山側に霧状に放水した。
すると墓地にうっすらと小さな虹がかかった。

「あれ?これ?」
「うん。虹や。」
「にじ!うわぁ!カナ絵本で読んだことあるけど、本物はじめてみた!」
水にぬれて毛先がペッタンコになったボビーも、楽しそうに虹を見ていた。
「パパにも見せてあげたいナァ。」

昼ご飯時になって、帰ってきたカナをみてバアバはびっくりした。
シャワーでも浴びたように、髪の毛からシャツからずぶぬれになっていたのにも、
モチロンビックリしたが、それよりも彼女が島に来てから、
聞いたことが無いぐらい元気な声で「ただいま!」と叫んだのに仰天した。

さらに、夕方になって駅のほうから帰ってきたママも、
夜ご飯時にカナを見て、びっくりした。一日で真っ黒に日焼けしている様子にも、
モチロンビックリしたが、それよりも
今まで聴いたことが無いぐらいとめどなく、
今日あった事を楽しそうに話すカナの様子に
仰天した。

                                       (第9回へ続く)

   シーン9

『にじをみた』

きょう、ケンジくんとボビーと、ネコだまりにいきました。

かいだんを上っていくと、おはかがあって、ちょっとこわかったけど、そのおくに

うみがとってもよくみえるばしょが ありました。ネコがいっぱいいてかわいかったです。

うみはキラキラしてました。ケンジくんが水をだしました。

つめたくってわたしはキャーキャーいいました。

さいごにケンジくんがにじをつくってくれました。まほうつかいみたいです。

ボビーはずぶぬれになりま・・・。

 

 夜、カナとママの部屋で、さっきまで鼻歌を歌いながら、絵日記を書いていた
カナの声が聞こえなくなったので、ママがふと見ると、
カナは色鉛筆を握ったまま机に突っ伏して静かな寝息を立てていた。
その脇にちょこんと座っているボビーの頭をなでながら、
ママはそっとカナが握っている青い色の鉛筆を箱にしまった。

 

『おはなのみつをすった』

きょう、ケンジくんと、ケンジくんのがっこうにいきました。

でもなつやすみなので、だれもいなかったです。かだんにまっかな花がさいていました。

サルビアというそうです。ケンジくんが花をとってチューチューとみつをすいました。

わたしもみつをすいました。あまかったです。

 

『とんぼをとった』

きょう、ケンジくんとトンボをとりました。

トンボの目のまえでクルクルとゆびをまわすと、トンボが目をまわしてとれるそうです。

やってみたけど、すぐにげました。きがつくとボビーのあたまの上にいっぴき

とまっていました。そ〜っとちかづいて、あみをバサっとかけました。

でもあみのなかにはボビーしかいませんでした。トンボをとるのはむずかしいです。


                                         (第10回に続く)

   シーン10

「おかわり!」
「カナ、もっとゆっくり食べなさい。」
「だってお腹すいてるんだもん。」

カナはあれから毎日ケンジと島のあちこちで遊んだ。
だから今では、島に来たときよりも、ずっと夜ご飯を食べるようになっていた。

「バアバ、お魚おいしいね。」
「だろぅ?ハイ、おかわり。」
「おい、ビールくれ」ジイジは、いつものようにビールばかり飲んでいた。
「カナね、きょうもね、ケンジくんのおうちで、お魚ぶら下げたの。
お魚ってぶら下げて
お日様の光を当てると美味しくなるんでしょ?」
「そうだよ、カナ。よく知ってるねぇ。」とバアバはカナを見てとろけそうな顔で答えた。
「ねえカナ、それよりちゃんと宿題やってる?」とママが言った。
「うん。やってるよ。」
「カナ、宿題って絵日記だけじゃないのよ。」
「うん。」
「漢字ドリルとか、全然やってないでしょ?」
「ううん。やってるよ。」
「うそ!ママうそつく子は嫌いよ。食べ終わったら今日は漢字ドリルやりなさい。」
「はぁい。」と言いつつ、カナは箸を口に運ぶ動作をスローモーションのように、
もの凄くゆっくりにした。

「カナ。カァナ!そんなゆっくり食べてもダメよ。」
「はぁい。・・ごちそうさま。ボビー行こう。」
とカナはボビーをつれて
2階へ上がっていった。

バアバはお茶を入れながら、そんなママに話しかけた。
「真理子、カナはいい子やねぇ。」
「ん?・・・・そう?ありがとうぉ。」
「すっかり焼けて、真理子の子供の頃みたいや。」
「似てる?」
「元気なとこも、宿題を『やった』って言うて、全然やらんところもそっくりやぁ。」
「そう?私はもう少し素直やったよぉ。」
「よく言うわ。なぁ?」
「んぁ?」ジイジはビールを飲みながら新聞を読んでいて、
二人の話を全く聞いていなかった。

「なんか、ほら、ダンナがデザイナーで絵がうまかったヤン?
だからカナにいろいろと
絵を描いてたみたいなンよ。
それでカナ、絵ばかり描くン。」
と方言に戻ってママがバアバに言った。
バアバは笑って聞いていたが、ちょっと真剣な顔になって
「・・・真理子、いま過去形で話してるけど、どうするん?昭洋さんと。」と聞いた。
「真理子。カナにはまだ父親が必要やで。」
「それは分かってるンやけど・・。」
「まあ、当人にしか分からないこともあるんやろうけど。」
「まあ、当人にしか分からないこともあるんやけど。」
「でも真理子。もし本当にこっちに戻ってくるなら、
パートやのうて、ちゃんと仕事探さなあかんよ。」

「うん・・・。それも分かってるんやけど・・。」
「おい、ビールくれ。」
ジイジがうめくように言った。ママはそんなジイジを横目に見て、

片手でビール瓶を持って、とても形式的にお酌をした。
「ほら、はい・・・・。」
「おとととととと」
ジイジはグラスを持って、上機嫌でビールを受けた。

「まあ・・、ダンナは父さんよりは、しっかりしてたとは思うけど・・・。」
「あら、父さんエエ男よぉ。」
「そうなん?」
バアバとママはまじまじとジイジを見た。
ジイジは小さなゲップをした。バアバとママは
がっくりとうなだれた。

「あ〜アカン。この人で良かったんやろうかぁ?」
とバアバは冗談っぽく言った。

「お察しします。」
「ま、大切なことやから、ちゃんと二人で話さなぁ、アカン。」
とバアバはきっぱり言った。

「うん。」ママはため息交じりに答えた。

                                            (第11回に続く)

  シーン 11

「カナ、秘密を守れっか?」
とケンジはある日、カナにちょっと真剣な顔をしてたずねた。

「秘密?うん。」とカナはドキドキしながら答えた.
「じゃあ、秘密基地に連れてったる。ついてきぃや!」
とケンジは言葉少なにずんずん歩いていった。
カナは何か『秘密』という言葉の響きに惹かれるように、ケンジのかかとを追っていった。

ケンジは軽やかに進むのだが、その行く手にはカナの背丈よりある
セイタカアワダチソウの藪をがあり、引っ付き虫の藪などもあったので、
カナは、そんなに早くは歩けなかった。
やがてイガイガとした枝が出た、低い木のトンネルにやって来た。
カナは身をかがめて入っていったが、色々と引っかかって上手く歩けなかった。

でもケンジの姿が遠ざかって見えるので、急いで歩いていこうとしたその瞬間・・。

 

ガリッ!

 

カナは重みを腕に感じ、いやな音を聞いた。
あわてて手に持ったボビーをみると、
なんと枝がボビーの腕に引っかかって、布が裂け、
中の綿が見えてしまっているではないか!

 

「ボビー!」

 

カナは、火がついたように泣いた。

「・・・・・ボビー!・・・・ボビー!・・・ボビー!」

泣きじゃくってその場にしゃがみこみ、
何もいえなくなってしまっているカナにたいして、
ケンジはただただ見ているしか出来なかった。

大人の時間で言うと20分ぐらい経過しただろうか。
子供の時間では永遠に近い時間がそこで流れた。
カナは無意識のうちにネコじゃらしの
枝を
自分の左手の中指にぐるぐる巻きにしていた。

そんなカナの手を引いて、ケンジはとりあえず開けた場所まで歩いていった。
カナは、木の根っこに腰掛けて、もう一度ボビーを見た。
ボビーは、右手の脇から腹の部分がざっくりと裂けて、中の白い綿がはみ出ていた。
カナはボビーに顔をうずめて泣いた。

「ボビーはね、パパがくれたの。・・・・・・。」
「・・・・・・」

「パパがくれたのに・・・。」
今度は心の底から震えるように、涙がこぼれた。

ケンジはもう何もいえなくなった。

 

「お?どうした?」
ケンジが声のするほうを見ると、
白髪で顔中白いヒゲを生やした、背の高いおじいさんが
こちらに歩いてきた。

「どうしたの?怪我でもしたか?」
おじいさんは深みのある声で、ゆっくりと包み込むように尋ねた。
「ううん、実はこの子のぬいぐるみが破けてしもうて・・。」
「ヌイグルミじゃないもん!ボビーだもん!」
とカナはボビーから顔を上げて激しく言った。

「どれどれ、おじさんに見せてごらん。」
とおじいさんはカナの髪の毛をなでながら言うとボビーをそっと手に取った。

「なるほど・・・。ん?」とおじいさんはボビーの口元に耳を寄せた。
カナとケンジはそんなおじいさんの様子をちょっと不思議そうに見つめた。

「カナちゃん、大丈夫。おじさんが直してあげる。」
「え?」
「カナ?このおじいさん知ってるのン?」
「ううん。」
「ケンジ君も一緒においで。」
「あれ?どうして俺の名前を?」
おじいさんはにっこり笑って、確かにこう答えた。

「この子が教えてくれたよ。ボビーがね。さぁ、ついておいで。」

 おじいさんについて歩いていくと、三人は島の一番高い山の中にある、
お寺の奥の院の参道に出た。

そこは古い崩れかけた石段が並んでいて、
街路樹代わりに沿道に植えてあるくすのきが、
大きく成長してお日様の光をさえぎっていた。
足元は苔むしていて、その参道全体が水を打った後のように涼しく感じられた。

鳥の声が村で聞こえるものとはずいぶん違って聞こえた。
途中にはお地蔵さんがあり、その真っ赤な前かけが、
周りの緑色にまぎれてくすんで見えた。

村のほうではもう散ってしまった、青紫のアジサイが咲いていた。
そのアジサイを目印に、おじいさんは生垣が並ぶ細い横道にそれた。
二人もついていくと、やがて急に前が開けて、そこに池が現れた。
池には太陽が真上からさし、あたかも空が落ちてきたような風景だった。

「さあ、ついたよ。」とおじいさんは言った。
池のほとりには小さな三角屋根の小屋と、温室みたいな建物があった。
小屋は石積みで
出来ていて、小屋の入り口にはガラス製の、
金魚を書いた大きな風鈴が吊ってあった。

入り口には
「“なんでもなおします”トマスじいさんのふしぎなおみせ」
と書いてあった。

「さあ、中にどうぞ」とじいさんは先に店の引き戸を開け、
ボビーを抱いて中に入ってしまった。

「なんでも、なおします。トマス、じいさんの、ふしぎな、おみせ」
とカナはたどたどしく看板を読んだ。

「あのおじいさん、トマスじいさんっていうんやなぁ。知らンかった。」と
ケンジが納得するようにいった。

                         (第12回へ続く)


    シーン12

カナとケンジは開けっ放しの入り口のまん前に立った。
すると風がフワッと吹いて、その風鈴が歌うように高い音を出して揺れた。
カナの目には一瞬、風鈴の中の赤い金魚が跳ねたようにも見えた。
カナもケンジも戸口の前で立ち止まったまま困ったようにお互いを見た。

「あのね・・・」
「あのさ・・。」
「・・・・ママにね。」
「俺もオバアとか姉ちゃんにな・・。知らない人のうちにいったらアカンって怒られるわぁ。。」「・・・・。」
「どうする?カナ?」
「・・・ボビーは?」
「ボビーは・・・、そうやなぁ。・・・ボビーがいるもんなぁ・・・。
まあ、ほなしゃなぁいな。これは、ヒミツな。」

「うん。」

 ♪ 指きりげんまん うそついたら ハリセンボン の〜ます。指切った ♪

「せ〜の。」二人は手をつないで、一緒にジャンプして店の中に入った。

 表が明るいので、店に入ったときは一瞬暗く感じたが、目が慣れてくると、
中の様子がだんだんちゃんと見えてきた。
中は意外と広く、とくに天井が非常に高かった。
そこには、ブリキのおもちゃ、古い人形、ぬいぐるみなどが置かれていたが、
何より色とりどりのガラス瓶が沢山置いてあるのが、やはり目に付いた。

「暑かったなぁ。まあ、ジュースでも飲みなさい。」

トマスじいさんは、店の奥から紫のガラス瓶と切子ガラスのキラキラ光る、
青と赤の
2つの小さなグラスをお盆に乗せて来た。
ピエロの形の栓抜きでポン!と栓を抜いてオレンジジュースみたいな色の飲み物を
グラスに注いでくれた。

「いただきます」
とカナとケンジはジュースを飲んだ。するとオレンジともレモンとも
ピーチネクターとも違う、だけど果物っぽい味がした。

「わぁ!旨い!これなあに?」
とケンジは叫んだ。

「ミラクルブラッサムという果物のジュースじゃよ。」
「へ〜。もう一杯飲んでもいい?」
「もちろん。そこで座って、ちょっとゆっくり待っててね。」
と二人に言うと、トマスじいさんは、店の奥にあるミシンのところに座り、
赤い糸をミシンにかけ、ボビーの脇の破れ目の辺りを縫い始めた。

カナは心配になって、ミシンの近くに釘付けになった。
「大丈夫。直るよ。」とトマスじいさんはやさしくカナの頭をなでた。

 トマスじいさんの作業が始まった。
ボビーのお腹のところに、白い綿をつめなおし、
さらに腕や足などの形を整えているのを、カナは祈るような気持ちで見つめていた。

ケンジは、店の陳列棚に展示してある、古いブリキのおもちゃや、大きなヌイグルミ、
おもちゃの楽器などをじっくりと見て回っていた。

「こんなところにお店があったなんて・・。」
と感心していると、棚に並んだガラス瓶がキラキラ光って見えた。

「これもミラクルブラッサムのジュースなンかな?」
とケンジは赤いガラス瓶を手に取った。
するとそのキラキラ光るガラス瓶の裏に「あけてごらん」と書いてあった。

それを見ると、ケンジはどうしても開けたくて仕方なくなってしまった。

「なぁ、トマスじいさん。このビン、・・・・開けてもえぇ?」
「ああ。いいよ。」
とトマスじいさんは答えた。そしてカナに

「カナちゃん。よく見ててごらん・・・。」とつぶやいた。
ケンジはピエロの栓抜きで赤いビンの栓を抜いた。

すると・・・。

ポン!という、乾いた大きな音がして・・・。

中から赤い風船がプク〜っと膨らみながら現れた。

「うわぁ!」
とケンジはおもわずしりもちをついた。

「え?なにこれ?え〜!」
カナは、目の前の光景が信じられなくて、ぽかんとしていた。

やがて、その風船はカナが両手を広げたぐらいの大きさまでふくらみ、
ポワンとビンを離れ、フワ〜っと天井へ向けて浮かび上がった。

「それは風船のビンじゃよ。」
「はぁ・・。ふうせんの・・、ビン?」
とケンジがしりもちをついたまま、放心したように風船を見上げてつぶやいた。

「さあ、直ったぞ。」
とトマス爺さんがボビーを抱いて店から温室へと入ってきた。
「わぁ、ありがとう!」とカナは走り寄ったが、
「あれ?」と怪訝そうな顔ですぐさま、トマス爺さんを見た。
「ハハハ。じゃあ、こっちにおいで。」
と、トマスじいさんは、二人を手招きして、店の奥へと誘った。

店の奥は温室のようなガラス張りの建物になっていて、
天井は2階ぐらいの高さまで吹き抜けていた。
その高い天井からはさまざまな色の布が垂れ下がり、
左手奥にはなにやら木製の古いベルトコンベアーとも輪転機とも見える機械も見える。

正面奥には、階段状になっている棚があり、
そこにさまざまなぬいぐるみやドレスを着た人形が置いてあった。

「ねえ、なにこれ?」
と口を尖らせてカナはトマス爺さんに言った。

見ると、ボビーのわき腹に、小さな金色のゼンマイがついていた。
「なんや?それ。」
とケンジも同調するように言った。

「まあまあ、ちょっと見ていなさい・・。」
とトマスじいさんはゆっくりと、そのゼンマイを巻き上げ、
階段状の棚にボビーをそっと置いた

すると・・・。かすかにギーという音がして、

ボビーがスクッと立ち上がった。


「あっ!」
とカナとケンジは思わず大きな声で叫んだ。

ボビーは、カナを見て、満面の笑みを浮かべると、
そばにあった小さなトップハットをかぶり、ステッキを手に取ると床をドンと鳴らした。
すると、天井に吊り下げてあった紫色の布が、カラカラと踊るように落ちてきて、
階段状の棚が舞台みたいになった。
ボビーがステッキを振り回すと、周りにおいてあったぬいぐるみや、
ドレスを着た人形達も立ち上がった。

レコード針が自動的に動いて、プレーヤーからフレッドアステアの
「踊るリッツの夜」が流れてきた。
ボビーはフレッドアステアの歌声に合わせて口をパクパクと動かし、華麗なステップを踏んだ。

♪ タタンタタンタン タンタン!

ドレスを着た人形達が、ボビーといっしょに踊りだした!

ボビーはかぶっていたトップハットをカナに向けて飛ばした。
カナは帽子を受け取ると、
そっとかぶってみた。
でも小さすぎてしっかりとは、入らなかった。

傍らでは、おもちゃの鼓笛隊がオーケストラピットで演奏をしていた。

すると大きな青い風船がカナの背中をポンと押し、
カナは投げ出されるようにステージに立った。

回りからは、赤い布が下りてきて、カナの体に巻きつき、ちょっとしたドレスになった。

ボビーはカナに近づいて、タップを踏んだ。

 ♪ タタンタタンタン タンタン! ♪

カナも負けずに足踏みを踏んだ。ボビーはそんなカナを見て、にっこりと笑った。

 ♪ タタンタタンタン タンタン! ♪

ボビーはカナの手を取って、同じステップを踏んだ。

 ♪ タタンタタンタン タンタン! ♪

『イエイ!』

曲が終わった。

「ブラボーブラボー」
とトマスじいさんは満面の笑みで拍手した。

「アハハハ!アハハハ!」
と甲高い声がボビーのほうから聞こえてきた。

「ねぇ、笑ってるのって、もしかしてボビー?かなぁ?」
カナはじっくりとボビーを覗き込んだ。
「アハハハ。そう、僕だよ。ボビーだよ。」
「うぁぁぁぁ!」
ボビーがしゃべったのを見て、カナとケンジは同時にしりもちをついた。

「カナちゃん、カナちゃん、うれしいなぁ。やっとしゃべれるようになったよ。
いつも僕を可愛がってくれてありがとう!」
とボビーは近寄ってきてカナの手を取った。

「ボビー、本当にボビーなの?」
とカナは半信半疑でケンジとトマスじいさんとを交互に見た。見られたケンジもトマスじいさんも「俺はしゃべっていないよ」と言いたげに、
無言ですばやく首を振った。

「カナちゃん、僕ね、ずっとず〜っとお話したかったんだよ。」
「ボビー!ボビーはそういう声をしてるのね。かわいい。」
とカナはボビーを抱きしめた。

「アハハハハ。カナちゃん、ちょっと痛いよぉ。」
とボビーはくすぐったそうに笑った。

すると、カチっという音が再び聞こえた。

「あれ?」

カナが見ると、ボビーはいつものぬいぐるみに戻っていた。

「あれ?ねえボビー、どうしたの!もっとお話しようよ。ねぇてば!」
「カナちゃん。ボビーはね、ゼンマイを巻かないとしゃべらないんだよ。」
とトマスじいさんは言った。

「ゼンマイ?・・・ああ、あの金色のやつ!」
とカナは、急いでゼンマイをさがして巻き上げた。

ギー、ギー・・・カチッ

「ふ〜、びっくりした。やっぱりゼンマイだから時間が来ると切れちゃうんだよね。」
ボビーはぴょこりと飛び起きて言った。
「ねえ、ボビーいっぱい遊ぼう!」
OK! あ、ケンジ君も遊ぼうよ!」
「あれ?俺の名前・・。」
「知ってるよ!虹を作って僕をびしょぬれにしただろ?アハハハ!」
ボビーの甲高い笑い声に吊られて、カナもケンジもお腹を抱えて笑った。

OK!じゃあ、今度はみんなで歌って踊ろうよ」
そういうとボビーは、またステッキを持って、床をドンと鳴らした。

すると、おもちゃの鼓笛隊がカナのところにやってきて、笛みたいな楽器 カズーを
カナに渡した。
「吹いてごらん」
とボビーはカナに言った。思い切り吹くとブ〜ブ〜とかえるみたいな音がなった。
カナは自分の吹いた音色を聞いて笑い出した。

「ケンジ君にはこれ!」
とボビーが言うと、ぬいぐるみの熊が、マラカスを持ってきた。

「え?なにこれ?」
とケンジがくまに言うと、くまは
2つあるマラカスのうちの一つを、
シャカシャカと振ってみせた。
「ああ、こうすればいいわけなぁん?」
「そう! じゃあ、いくよ!music start!
とボビーが叫ぶと、ぬいぐるみの白いウサギが前歯の先で、ホイッスルを吹き出した。

ピ〜、ピーピキピーピキ、ピピピ〜

ドンツク トンツク ドンツク トンツク  

熊が叩く大太鼓がサンバのリズムを刻み始めた。

するとちょうど太陽が木陰から出てきて、温室の天井に一条の光を照らし始めた。

パパッパ パラッパ パラッパ パ〜   

鼓笛隊がトランペットを吹いた。

外の湖で鳥達が、一斉に飛び立ち、温室の窓のサンに鈴なりに止まって中を覗き込んでいる。

  ドンツク トンツク ドンツク トンツク

  ピ〜。ブ~~。シャカシャカ。

色んな楽器の音がサンバにあわせて交じり合っていた。
よく聞くと鳥のさえずりやせみの鳴き声までもサンバのリズムに溶け込んでいた。

 ポン!ポン!ポン!ポン!

ボビーがステッキをかざすと、ガラスの壁に一列に並んだガラス瓶の王冠が一斉に飛んで、
中から色とりどりの花が咲くように、風船がプク
~っと膨らんで、次々と跳ね上がった。

  ドンツク トンツク ドンツク トンツク

ボビーはそのうちの一番小さい風船に飛び乗って、ふわふわとカナの頭の上を舞った。
オレンジの大きな風船がカナのお尻を、ツンツンと突っついた。
「え?乗って良いの?」
ケンジのお尻も、青い大きな風船がツンツンと突っついている。
「え?おれも?」
カナとケンジは目を見合わせて、大きくうなづいた。
「せ〜の!」
一気に二人はジャンプした。

 ポヨ〜ン

二人はバウンドしながら、風船の上に乗っかった。
ケンジは勢いがつきすぎてあやうく滑り落ちそうだったが、何とか踏ん張った。

ドンツク トンツク ドンツク トンツク

「イェイ!」

カナ・ケンジ・ボビー、それにおもちゃの鼓笛隊や楽器を持ったぬいぐるみたちを乗せた
風船たちは、ボビーの掛け声で、一斉にふわふわと浮かび上がった。

「うわぁ!」
「ハハハハ!」

すると、温室の天井が開いて、風船たちは隊列を組みながら外へ飛び出した。

  ポンツク トンツク ポンツク トンツク 

  バサバサ バサバサ バサッ バサッ

島の上空、雲の辺りまで七色の風船の隊列はふわふわと登っていった。
温室の屋根にとまっていた鳥達も一斉に隊列に加わった。

上空から見ると、島はキラキラと光る海に浮かぶ緑のコマみたいに見えた。
おでこに当たる風が気持ちよくて、カナは思わず風船の上で伸びをしたら、
ちょっと落ちそうになった。

「あ!あそこ俺の家や!おい!おい!」
と叫ぶケンジの声が聞こえた。

下を見るとちょっと怖いので、目線の先のほうを見ると、
カナが降り立った駅や港、それに新幹線も見えた。
新幹線の中の人に、こっちに気がついて欲しくなって、カナは思い切りカズーを吹き鳴らした。ブ〜というかすれた音が、鳴り響いた。

やがて、風船は雲の中へとふわふわと入っていった・・。

                       (第13回へ続く)

   シーン13

気がつくと、カナとケンジはトマスじいさんの店の中のロッキングチェアーに
並んで座りながら眠っていた。お腹には誰かがかけてくれたタオルケットが、
程よい重さで乗っかっていた。

「あれ?あれ?ここどこ?」
と思わずきょろきょろと辺りを見回し、下を見るとちゃんと椅子があった。

カナは隣で、まだ寝息を立てているケンジを揺り起こした。
ケンジも、カナとおんなじように、
「あれ?ここどこ?」
と叫んで、きょろきょろと辺りを見回し、下を見て椅子を確認した。

「ああ、起きたかね。」
とトマスじいさんがおくからやって来た。

「ねえ、俺たちどうしてここにいるン?風船に乗って空へ浮かんだはずやのに・・。」
「ハハハ。まあ遊びつかれて寝てしまったんじゃよ。」
と、トマスじいさんは笑いながら言った。

「それにしても、おかしいわぁ・・。俺は雲の中に入ったところまでは覚えてるンやけど・・。」「あ、私もおんなじ!」
「でもなぁ・・。」
といいながら、ケンジとカナはいっしょにギコギコとロッキングチェアーを動かして、

「・・・・夢だったのかな?」
とつぶやいた。

それを黙って聞いていた、トマスじいさんは、二人の頭をぽんぽんと軽く叩いた。

「ボビー、おいで。」
すると、ボビーがトコトコと歩いてきた。
「あ!ボビー!」
カナとケンジは同時に叫んだ。

「夢じゃなかったんや!」
「次は何して遊ぶ?ボビー。」
「カナちゃん。そろそろ帰らないとお日様が沈んじゃうよ。ママが帰ってくる前に
帰らないと、また怒られちゃうよ。」
ボビーはさっきと変わらない声で、微笑みながら言った。
「あ、ホントだ。・・・カナ帰る。ママに怒られるもん。」
「そうか、じゃあ気をつけてお帰り。」
「うん。」

「ところでカナちゃん、」
とトマスじいさんは、しゃがみこんでカナの視線と同じ高さになって、ゆっくり話し出した。

「ボビーはゼンマイで動くんだけど、注意してほしいことがあるんだ。守れるかな?」
「うん。」
「まず、ゼンマイってお水がかかると錆びて動かなくなっちゃうんだ。
だから一緒にお風呂に入っちゃいけないよ。」

「うん。」
「それから、ゼンマイはギュッと巻きすぎると、切れちゃうんだ。
もしゼンマイが切れちゃったら、もうボビーは動かなくなっちゃうからね。」

「うん。」
「それからボビーにも注意。」
「ハイ!」
ボビーはビックリして甲高い声で答えた。

「ボビーは、ママたちともしゃべりたいだろうけど、
カナちゃんとケンジ君以外の人には、自分が喋れることは絶対に秘密だよ。」

「え?どうして?」
「それはね、もしボビーが喋れることが分かったら、
いろんな人がボビーと話したくなっちゃって、
ボビーを独り占めしようとする人も出てくるかもしれないし、
誘拐されちゃうかもしれない。そしたらもうボビーはカナちゃんとは
一緒に住めなくなっちゃうんだよ。もしカナちゃんも、
この先ずっとボビーがカナちゃんのそばにいてほしかったら、
絶対に
ボビーが喋れることを、誰にも話しちゃいけないよ。」
「うん!カナ、絶対話さない!だってボビーはカナのものだもん!」
「俺も話さないよ。だって、きょうここに来たことも秘密だもん。なぁカナ。」
「あ、そうだった!」

トマスじいさんはニコニコとしながら立ち上がって、

「じゃあ、4人で指切りしよう。」
「うん!」
カナとケンジとボビーは同時に答えた。

  ゆびきり げんまん うそついたら・・・・

  はり 一万本 の〜ます! 指切った!

 

「じゃあ、またね!ケンジくん早く!」
とカナは走り出した。 

「ああ、待ってよ。じゃあ、また明日。」
あわててケンジもトマスじいさんにお礼を言いつつカナの後をついて店を出て行った。

 

早足で池のほとりを抜け、アジサイの小道を過ぎると、
奥の院はすっかり夕方になっていた。


「カナちゃん。じゃあ、おやすみ。」

カチッ。

ボビーが小声でつぶやいて、ゼンマイが切れ、やがて静かになった。
カナの耳に急に夏の夕方のせみの声が飛び込んできた。
カナは立ち止まり、
「早く明日にならないかな。」とつぶやいた。

「明日の明日の明日のあしたに、早くならないかな。」
カナはもう一度つぶやいた。

「そんなに早く明日の明日になったら、夏休み終わってしまうわぁ。」
とケンジはぼやくように言った。

「ま、でも確かに、はよぉ帰ろう。あんまり遅いとオバア怒るわ。」
といいなおして、
二人は崩れかけた石段を小走りに降りていった。

 ♪ ララララララ〜 二人の乗った ゴンドラが〜 ♪

カナは鼻歌を歌いながら駆け下りた。行きと違うのは、
カナのほうが先に駆け下りているところだった。
競争していたわけではないけれど、なんだか今日はカナのほうが早く走れる気がした。

 オレンジの夕日が、木の間から時折強い光をサーチライトのように
カナとケンジに浴びせた。ケンジは時折眩しさに目を細めたが、
カナは構わずドンドン降りて行った。そんな夏の太陽も徐々に高度を下げて、
ゆっくりと暮れていった。

(第14回へ続く)

   シーン14

「バアバ、何かお手伝いする。」
とカナは、晩御飯の準備をしていたバアバの台所へ入っていった。

「あれ?カナ、ありがとう。どうしたン?」
「ん?お手伝いしたくなったの。」
「じゃあね、みんなのお茶碗とお箸を持っていってぇな。」
「うん!」

カナは、ジイジ、バアバ、ママ、カナのお茶碗とお箸を揃え始めて、食卓に並べ始めた。

 ♪ ララララ〜 ララララララ ゴンドラが〜 

と鼻歌を歌っていると、

『カナちゃん、違うよ。それバアバのお茶碗。ママのお茶碗はその赤いの。』
と、卓上にちょこんと座ったボビーがひそひそ声でカナに指示を出していた。
「あ?そうだっけ。」
『そうだよぉ。あ、その黒いのはジイジのおはし』
「大丈夫。これは分かるわよ。黒いの一つしかないもん。」
『ほんとぉ?結構カナちゃん覚えてないんだもんなぁ・・。』
「なによぉ・・大丈夫!ちょっと静かにしてて。」
あんまりボビーがいろいろと言うので、カナはほっぺを膨らませて反論した。

「ん?なぁに?カナ?どうした?」
と、カナの話し声に気がついたバアバが、台所から声をかけた。
「うん!大丈夫!バアバ!」
カナはバアバに大きな声で答えて、
「・・・・・ボビー、声大きいわよぉ」
とちょっと怖い顔を作って、ボビーに言った。
『ごめんなさい・・。』
ボビーはニコニコ笑いながらペコンと頭を下げた。

 

 きょうの晩御飯は、素揚げしたお魚に、アンカケの野菜炒めをかけたものと、
きんぴらごぼう、きゅうりとわかめのサラダとかぼちゃのお味噌汁だった。
ママがお仕事から帰ってくるのを待って、ジイジ、バアバ、ママ、カナとボビーは
食卓に集まった。

「いただきま〜す!」
カナは特に大きな声で言った。

プファ〜!
とジイジはいきなりビールを飲み干して、

「生き返るねぇ。」と叫んでいた。
「カナは今日も真っ黒に日焼けしたねぇ。」
とバアバはカナにやさしく言った。

「今日はどこに遊びに行ったの?」
「きょうはね、すごいことがあったんだよ!
ボビーがね、もうすごかったんだから・・って、ん?イテテテ。」

カナは足にチクッとした痛みを覚えて、思わず下を見ると、
机の下でボビーがひざの辺りをつねっていた。

『ダメ、カナちゃん。シー』
とボビーは声を出さずに、必死にカナにジェスチャーしていた。
「・・あ。」
「ん?どうしたのカナ?」
とママが不審そうに尋ねた。

「え?・・あ・・・あ~・・あ? なんか・・・魚の骨が。」
「あら、まぁ、そういう時は丸ごとゴクっとご飯を飲みなぁ」
とバアバはカナに言った。

カナは仕方なく、全然のどに詰まっていないのに、ご飯をゴクッと飲み込んだ。
「どう?カナ。」とママは心配そうに聞いた。

「ん?ビールもう無くなっちゃった、早いナァ早いワァ」
とジイジが独り言のように、催促していた。

「あ〜あ〜・・・うん。あ?大丈夫・・かも。」
カナは答えた。

「良かった。で、ボビーがどうしたン?」
とバアバはジイジのほうは全然見ずに片手でビールをお酌しつつ、
カナにニコニコ聞いてきた。

カナは目を丸くして、
「え?バアバすごいね。見ないでビール入れてる。」
と言った。

「慣れや慣れ。それよりどうしたン?」
「・・・ああ、そうそうそれでボビーがね、お歌を。・・・イテッ。」
「なに?また骨?」
とママは心配そうにカナの方へ来て、カナの魚の小骨をお箸でつつきだした。

「あ、いや、その、あの。ちょっと足がしびれて。」
「あらあら、そういう時は、おでこにつばをつけるといいんじゃよ。」
とバアバがさらにやさしく言った。

「え?母さんホント?」
とママはバアバに不審そうな声で聞いた。

「『ホント?』ったぁ、何事だィ。あたしぁカナに嘘なんか教えないよ。」
「でも、そんなの私聞いたことないよ。」
「お前が聞かなかったからじゃないン?」
「だって、足がしびれて、どうしておでこが関係あるのよ。
大体カナもどうやって椅子に座っていて足がしびれるのよ。」

「カナ、まあバアバの言うことを試してごらん。」
「あ・・・えっと。あ、はい。」
カナは、いまさら「足なんかしびれていない」とは言えなくなって、
とにかくおでこにつばを付けてみた。

「どう?」
「あ、なんか、いい?のかも?」
カナは曖昧に気を使った言い方をした。


「ん、ビールないワァ。早いネェ。もう一本飲んじゃったァ。」
と独り言のように
ジイジがつぶやいた。
バアバはまた、ジイジのほうを全然見ずにビール瓶を一本差し出した。
ジイジはビール瓶を受け取ると、慣れた手つきでポン!と栓抜きで栓を抜いた。

「あ!そうだ、今日風船がビンからぁぁぁぁぁ、イテテテ。」
またカナは痛みを覚えて下をみた。足元でボビーが鉢巻をして足をギュ〜っとつねっていた。

「今度はなぁに?カナ。」
ママがさらに不審そうに言った。

「ん?・・・あ〜。あ! そうそう、日焼けして痛い。」
「カナ、そういう時は、ミソを塗ると良いよ。」
「うそ、絶対ダメよそれ!ダメよカナ!そんなことしちゃ!」
「ダメとは何よぉ!母親の知恵っちゅうもんやぁ!」
またママとバアバが言い争いはじめた。
その横でとつとつとジイジは幸せそうにビールを飲み干していた。

   (第16回に続く)

  シーン16

 食事が終わると、カナはお片づけを一通り手伝った。
それからお風呂に入って、いつもよりも早くに寝ることにした。

「おやすみなさい!」
とみんなに大声で言うと、カナは走って
2階に上がり部屋に入った。
布団をめくると、ボビーがそこにいた。
カナはいつもボビーといっしょに寝ていたが、今日はいつもと違っていた。

カナは薄い夏がけ布団の中に頭から飛び込むと、
ボビーと自分とを布団で隠して、ボビーのわき腹のゼンマイを急いで巻いた

 カチッ!

『ハ〜。』

「ボビー待った?」

『ううん?大丈夫。ネエ、カナちゃん、
もうちょっとゼンマイ巻いておいて。ボビーいっぱいお話したいから。』

「うん!」

『あ、そのぐらいでいいよ。・・・さっきはビックリしたぁ。カナちゃん全部みんなに
話しちゃいそうだったんだもん。』

「ごめんごめん。カナ嬉しかったんだもん。」

『ボビーだって嬉しいよ。ず〜っとカナちゃんとお話したかったんだから。』

「カナもだよ。カナがいつもボビーに話しかけてたの、聞いてた?」

『もちろん。で、カナちゃんがそのたびにボビーのマネをして答えていたのも知ってるよ。』

「ふふふ。今日からは本当にしゃべれるんだもんね。」

『本当にしゃべれるんだもんね!』

カナとボビーは満面の笑みで笑いあった。

「パパのおかげだよ。ボビーのこと買ってきてくれたんだ。」

『パパさんに会いたいよね。』

「うん。でも、ママとパパはケンカしていて、もう会えないかもしれないの。」

『う〜ん、ボビー、ママにもバアバにもジイジにも会えたから、パパさんに会いたい。』

「カナだって会いたいよ。」

『あ!』

「どうしたの?ボビー。」

『ボビー、良い事考えた!カナちゃん。パパさんに手紙を書いて、トマスじいさんの風船で飛ばせば、パパさんに届かないかな?』

「あ!そうだね!ボビー天才!ちょっと待って・・・。」

カナは、布団をモゾモゾと抜け出して、画用紙と色鉛筆を机から取ると、
布団の中にまた滑り込んだ。

「でも何書けばいい?」

『う〜ん。カナちゃん、パパに会ったら何言いたい?』

「え?・・・パパに会いたかったんだぁって・・。」

『じゃあ、パパに会いたいです。って書き始めたら?』

「そうだね・・。」

 

 『パパへ。

カナはパパにあいたいです。カナはパパがだいすきです。 
あ、ママもだいすきです。バアバもだいすきです。ジイジもだいすきです。

ケンジくんもすきです。でもパパがだいだいだいすきです。

カナはなんでパパがだいすきなんだろう?とかんがえました。
いろんなどうぶつのえを かいてくれるからです。
おふろでみずでっぽうをしてくれるからです。
カナにこっそりおかしをくれるからです。
そして、
ボビーをくれたからです。
ボビーといるとパパのことをおもいだします。

ボビーもパパにあいたいといっています。

  パパにあいたいです。

  カナより。』

カチッ。・・・・

小さな金属音がして、部屋の中に静寂が訪れた。

ママは、パジャマに着替えて、少し伸びをしながらカナの様子を見に来た。
すると、ボビーを抱いたまま夏がけをかけて寝息を立てていた。
ママはしっかりと、掛け布団を足のほうまでかけなおした。
すると彼女の枕元に色鉛筆と、一枚の画用紙に書いた
手紙があることに気がついた。
拾い上げて、読んでみたママは、やがてなにかをつぶやき、
カナの髪の毛をなで上げた。そのカナのやわらかいこめかみに、熱く冷たい涙が落ちた。

(第17回へ続く)

     シーン17
次の日カナは、すごく朝早く目覚めた。と言ってもジイジとバアバよりは遅かったが、
ママよりはずっと早く起きた。起きるとすぐにボビーのゼンマイを巻こうとした。

「う〜ん。」
とママが、寝返りを打った。カナはあわてて、手を止めて、
「またあとでね。」
とその場にボビーを置いた。

カナがひとりで顔を洗って歯を磨いていると、バアバが台所で朝ごはんを作っている
匂いと音が聞こえてきた。

「おはよう!バアバ!」
「あれ?カナ、ずいぶん早いね?どうしたァ?」
「なんだか、早く起きちゃったの。ママより早いのよ!」
「カナはずいぶん元気になったね。ちょっとおいで・・。」
「ん?なァに?」
「カナは、甘い卵焼き 好きかい?」
「え?食べたことない。」
「あれ?そうかい。よくバアバはママに作ってあげたのに・・。ママは作ってくれないかい?」「うん。」
「よし、じゃあ今日はバアバが作ってあげようね。」
「やった!ねえ、なにかお手伝いする!」
「じゃあ、バアバがこの卵の中にお砂糖を入れるから、カナはその卵を
シャカシャカ
かき混ぜてくれるかな?」
「うん!」

カナは一生懸命、スプーンで卵液をかき混ぜた。
バアバはその卵をフライパンでふわふわに焼いて、卵焼きを作った。

バアバに出来たばかりの卵焼きの端っこの、こげたところだけちょっと切って、
カナに
食べさせてくれた。
ホカホカの卵焼きはにおいが、すでにちょっと甘くて、幸せな気分になった。

「あ!おいしい!すごい美味しい!」
カナは今まで食べたことがないぐらい、この卵焼きが好きになった。
早起きするのも悪くないと、カナは本当に思った。

「あれ?」
ママは、ずいぶん遅れて起きてきて、寝ぼけまなこで卵焼きを食べるなり、
素っ頓狂な声を上げた。

「ふふふ。どうしたの?」
とバアバとカナは、ニコニコとママをみた。

「いや、甘い卵焼きって、そういえばよく食べたナァって・・。」
「今日は、カナに手伝ってもろたんよ。」
「え?そうなの?カナ。」
「うん。お料理楽しかった。卵をカシャカシャかき混ぜたの。」
「ありがとう。ママがカナぐらいの頃に、よくバアバに作ってもらっていたの。おいしいよ。」とママはカナの頭をふんわりなでてくれた。
その脇でジイジがニコニコしつつ、見えないようにしょうゆをたっぷり卵焼きにかけていた。

「じゃあ、ケンジくんと遊んでくる!」
とカナはボビーを抱いて、靴に足を突っ込みながら言った。

「お昼には一回帰ってきぃな!」
とバアバがやさしく言った。その横でスーツ姿のママがちょっと厳しい顔で続けた。
「カナ。遊ぶのもいいけど、ママとの約束覚えてる?」
「うん。」
「言ってごらん。」
「『道は飛び出さない』『知らない人にはついていかない』」
「それだけ?」
「ううん・・。『宿題もきちんと毎日やる』」
「守ってる?カナ。」
 「うん。」
「うそ、全然やってないでしょ?」
「うん・・・。」
ママに久しぶりに宿題のことを言われて、かなりカナはがっくり来た。

「どうなの?カナ。」
「あ・・・あの・・。今日から頑張る。」
「今日からちゃんと頑張るのよ。じゃあ、行っておいで。」
とママはちょっと頭をなでてくれた。

「いってきまーす!」
とカナはホッとして大声で叫びながら、坂を下っていった。

「気をつけてね!」
というママの声がカナの背中に消えていった。

「真理子、はいお弁当。」
気がつくとバアバが紙袋を持って立っていた。

「じゃあ、私も行ってくるね。」
「真理子、カナはずいぶん元気になったナァ。」
「うん。」
「はじめは、ずっと部屋にこもって、ばあちゃんとも話さなかったからナァ。」
「うん、向こうでいろいろあったからね。」
「ま、次はあんたの番やで。」
「うん・・、まあね。」
「そりゃ、娘が帰ってくれば嬉しいけどナ。でも夏休みはいつまでも続かなンわ。
帰ってくるなら、前にも言ったけど、今みたいにパートじゃなくて、ちゃんと働きなさい。」
「・・・・。」
「せっかく大学まで出たんやから。もしくは、農家の婿探すか?・・。」
「・・・・。」
「まあ、ちゃんと昭洋さんと、もう一回話しなさい。カナのためにも。」
「・・実はね、昨日カナの枕元で、こんなものを見つけちゃった。」
と、ママはバッグから画用紙を出した。それは昨日カナがパパに書いた手紙だった。

バアバは読むと、深いため息をついた。
ママも、さらに深いため息をついた。

「これ、昭洋さんに出しなさい。」
「やっぱりそう・・・したほうがいい?」
「うん。」
バアバはママの肩をやさしくポンポンと叩いた。

  (第18回に続く)

 シーン18

 カナは、家から離れるとそっとボビーのゼンマイを巻いた。

 カチッ

『ふぁぁぁ。おはよう。』
「おはようボビー。」
『ん?なあにジロジロ見て。』
「ん?夢じゃなかったんだなって・・。」
『そうだよぉ!これからボビーはカナちゃんといつも一緒だよ。』

カナは、嬉しくなってボビーの頭にキッスした.
『でへへへ。』
ボビーは照れて、赤い毛がいっそう赤くなった。

 カナはケンジの家に行き、いわしの日干しを手伝った。
もちろんその間はボビーは、動かないふりをしていた。
でも、たまに虫が飛んできて、ボビーの鼻先に止まるので、
くしゃみが出そうになっていた。そのたびカナはそっとボビーの鼻を掻いてあげた。

その後3人は浜に来た。砂浜と漁港との間にあるコンクリート製の防波堤に座っていると、
お尻が熱くなってからだの奥のほうからポカポカした。

魚のにおいがするのか、すぐにネコが4〜5匹集まってきた。

「すごいね。ケンジくんといるとネコさんがすぐ集まってくるね。」
「いやぁ、さっき魚触ったからやって。」
「でもカナだって触ったけど、ケンジ君のところにばっかり行くよ。」

みると既にケンジの天然パーマの髪の毛に一匹ネコが絡まっていた。

『フフフフ』
ボビーはそのネコを見て笑った。

「どうしたの?ボビー。」
『ケンジくん、おいしそうな匂いがする!って言ってるよ。そのネコ。』
「あ、そう。やっぱりなぁ。そうだと思った。」
ケンジは大げさに嘆いたような声を上げた。
カナもボビーも、ケンジも大笑いした。

『あ!』
ボビーは小さな叫び声をあげて固まった。

「え?」
とカナは振り返った。

するときつね目で吊り目の男の子と、丸坊主の大きな男の子がこちらにやってくるのが見えた。

「おお!ネコ男!やっとネコ以外の友達ができたンやなぁ?あぁ?」
といいながら、吊り目の男の子がつま先でケンジを小突いた。
ケンジは小突かれながらも知らない振りをしていた。

「すごいなぁ、ネコが鳥の巣にからまっとるデェ。」
と坊主頭が無理やり頭の上のネコをむんずとつかんだ。
捕まれたネコは、毛を逆立ててフッ〜!とネコらしくない低い声で叫んだ。
しかしいまだ、ケンジは二人の男の子の顔を見ずに、されるがままになっていた。

カナはビックリして、ぎゅっとボビーを守るように抱きしめた。

「おお、ネコ男。おれにもネコ抱かせてくれヤァ」
となおも坊主頭はネコをつかんだ。

ネコがケンジの頭から離れないのに、無理やりはがそうとするので、
ケンジの頭は激しく左右に振られた。

「おらぁ、アホネコ。」

フギャ!とネコが大きな声で一喝し、目をグッとむいた。

「ふん。なんや。このあほネコ。もうええわ。」
と坊主頭は吐き捨てるように言い、
ケンジの日焼けした背中を大きな手で、バチンと叩いた
「はうっ!」
とケンジは思わず背中を反らして悶絶した。

「もみじや!きれいに出るで!」
「なぁ。おまえの父ちゃん、船持ってないくせに、ネコだけはいっぱいなんやな!」
と言い残し坊主と吊り目は行ってしまった。

二人が行ってしまっても、しばらくケンジは体勢を変えずに、
目に涙を溜めて、ずっと波をにらみつけていた。

『あああ』
ボビーがため息を漏らした先には、
ケンジが必死に耐えたときにコンクリートですりむいた左手の中指が見えていた。
つめの隙間から出血していた。

「あ。ケンジ君、血が出てるよ。」
とカナも気がついて、ケンジに言った。
しかしケンジはそのまま答えずにまだ、涙がこぼれないように、じっと波をにらみつけていた。

「ケンジ君。ねえケンジくん!」
『カナちゃん。』
「ん?なあに?ボビー。」
『何か拭くものを持ってきてあげようよ。』
「あ、そうだね・・。」

カナはボビーにそういわれて立ち上がると、

「じゃあ、なにかとってきてあげる。マキロンとかバンドエイドとか。待っててね。」

と走りだした。

カナは坂道を駆け上がり、いくつもの角を曲がった。
実は一人で浜から帰ったことがなかったので何度か道を間違えそうになったけれど、
その度にボビーに教えられて、何とか
ひとりでバアバのうちまでたどり着いた。
バアバは庭の畑で曲がったきゅうりを摘んでいた。

「バアバ!拭くものちょうだい!」
とカナは入り口でバアバに叫んだ。

「ああ?拭くもの?なあに?」
「ケンジ君が血、出しちゃったの!」
「ああ。分かった分かった。」
とバアバは首にぶら下げたタオルで額の汗を拭くと、カナのほうへやって来た。

「ハイ、これが手ぬぐい」
とバアバがカナに手渡した。

「うん。」
カナは右手で受け取った。

「水でまず傷を洗って、それからハイ、これが消毒。」
「うん。」
カナはマキロンを左手で受け取った。

「で、これがバンドエイド。」
と箱から数枚バンドエイドを出すと、カナを見ずに渡した。

『どうも。』
するとそれをなぜかボビーが受け取った。
バアバも気がつかずに渡した後、ちょっとおかしいと思ったらしく、

「ん?あれ?」
と振り返った。見ると既にカナの手にバンドエイドがあった。

「カナ。毛深くなったか?」
「へ?」
とカナは不思議そうに聞き返した。

「まぁ、ええわ。それより、カナ、ケンジつれて来い。バアチャンが手当てしたる。」
「うん。でもとりあえず・・。」
「ん。まあじゃあとりあえず。でもすぐケンジつれて来いなぁ。」
「うん。ありがとう!」
というとカナはまた坂を走って下りだした。

息を切らせ、大汗をかいて浜にたどり着くと、ケンジはいなかった。

「あれ?いないね。」
『ホントだ。あ、さっきのネコがいるよ。』

カナとボビーは砂浜にひっくり返されて置いてある小船の陰で、
伸びをしている一匹の三毛ネコのところに行った。

カナはネコの横まで行くと、しゃがみこんで聞いた。

「ねえ、ネコさん。ケンジ君知らない?」

ニャ〜

『あ、そう。』
「え?ネコさんなんて言ったの?」
『うちに帰ったって。』
とボビーは答えた。

ニャ~ニャ~

『ふうん、そうなんだぁ・・。』
「え?なんて?」
『あのね、ケンジ君さっきの男の子たちにいじめられてるんだって。
でもいつもじっと我慢してるんだって。』

ニャ〜ミャ〜

『で、ネコたちもあいつらが大っきらいなんだって。ケンジ君がいないとあいつらが、
ネコたちにむりやりマジックで眉毛書いたり、水たまりに落としたりするんだって。』

「ひど〜い。」

ミャ〜ミャァァ

『で、ケンジ君はそんなことは絶対しなくて、ネコをかわいがってくれるから、
ネコはみんなケンジ君の味方だよって。』

「そうだよね、じゃあケンジ君のところに行こうよ。」

ミャ〜

ネコははっきり大きくうなづいた。


(第19回へ続く)

   シーン19

「ケンジく〜ん!」

ミャ

カナとネコはケンジの家の前で叫んだ。でもケンジはでてこない。

「ケンジく〜ん!」

ミャ

もう一回カナとネコは叫んだ。今度はこっそりボビーも声を出してみた。
でもケンジは
出てこなかった。

「出てこないね。」
『まだ帰ってきてないのかな?』
ニャ

『あ、だれか来たよ』

開きっぱなしの縁側に、ケンジのオバアが出てきた。

「あら、カナちゃん。ケンジでしょ?」
「うん。」
「なんかね、さっき家に帰ってきたっきり何にも言わないで、布団かぶって出てこないンよ。」「あのね、さっき男の子たちにいろいろ言われて、怪我しちゃってたから、カナ、バンドエイドとかマキロン持って来たの。」
「あらぁ、ありがとう。ホントごめんねぇ。ケンジ!ちょっと!」
といいながら一旦オバアは家の中に入っていったが、すぐに出てきた。

「だめ、なんか泣いてるみたい。ごめんね。」
「うん。じゃあ、これ・・。」
とカナは持っていたマキロンと手ぬぐい、それにバンドエイドをオバアに渡した。

「あら、ありがとう。じゃあカナちゃんからって言っとくわね。ごめんね。」
「じゃあ、さよなら。」
とカナはがっかりしながらオバアに手を振って別れた。


 カナとボビーとネコは木陰の石に座りながら、ため息をついていた。
「困ったね。」
『困ったネェ』

ニャ
「ケンジ君、元気出してくれるといいんだけど・・。」

ニャ〜
『え?なるほど』
「え?なあに?」
『あのね、ケンジ君は困ったことがあると、ネコだまりに来るんだって。だからあとで来るかもしれないって。』
「なるほど。」

ニャ
『で、そこへ行けば仲間もいっぱいいるから、ケンジ君に元気を出してもらえる方法が
見つかるかもしれないって。』
「そうだね。じゃあ私たちも、ネコだまりに行こうよ!」

ニャ

『でね・・・』
「カナも今のは分かるよ。『いいよ!』って言ったんでしょ?」
『正解。』


(第20回に続く)

    シーン20

三毛ネコが先導してカナとボビーをネコダマリに連れて行ってくれた。
しかしネコが使っている道は、人間の道と違って涼しいは涼しいのだが、
かなり険しい道のりだった。

なにしろ、いきなり人のおうちの中にある大きな木を上って、ブロック塀を伝い、
屋根の上に飛び移ったのだから、カナは何度も下に落っこちそうになった。

人目に触れない場所だし、なによりカナが大汗をかいていて、
濡れると中のゼンマイが錆びそうだったから、
ボビーも途中から自分で歩き出した。しかしそれでも
3回も
『カナちゃん!ごめん、ゼンマイ巻いて!』
とお願いするぐらい大変な道のりだった。

 やっとたどり着いたネコダマリは風の通り道にあるので、とても涼しくて
今までの汗が吹き飛ぶぐらい気持ちが良かった。
とりあえずカナは水道の蛇口をひねって
のどを鳴らせて水を飲んだ。

「ああ、気持ち良い!」

見ると蛇口のところにネコが集まってきた。

「そうか、みんなものど渇いてるんだね。」

ニャ〜

『その通りって、言ってるよ。』
「はい、みんな。」
とカナは水を桶に入れた。ネコたちはニャ〜ミャ〜と寄ってきて、美味しそうに水を飲んだ。

『ふ〜疲れたぁ』
ボビーは大きなヒマワリの葉の影で倒れこむように座りながら、小さな葉っぱで扇いでいた。

「ボビー大丈夫?暑そうね」
『だって、僕 中身は綿なんだよ。そりゃ暑いよ。』

ニャ

先導してくれた三毛猫がボビーのところへ擦り寄ってきた。

『え?なに・・え?』

三毛猫は、プラスチックで出来ている黒いボビーの鼻の頭だけをペロペロとなめだした。

『アハハハ、くすぐったいよぉ。』
「ああ、ネコちゃん、だめだめ。ボビーは水つけちゃダメなの。」
『アハハハ、カナちゃん。僕のお鼻はプラスチックで出来てるから、
ネコがなめるぐらいなら大丈夫かもしれないね。アハハハ』

「そうなんだ。」

ニャ

『ありがとう、元気でたぁ。』
ボビーは満面の笑みでネコをなでた。

ニャ〜

三毛ネコは得意そうに鳴いた。

 (第21回につづく)

  シーン21

 カナとボビー、それに二人を先導してきた三毛猫が日陰のベンチにこしかけて、
その周りに半円状に猫達が
15匹ほど集まった。
みんな一様に深刻そうに一人と一体と一匹を見ていた。

ニャ

三毛猫が言うと、

グルルルル〜

と他のネコがうなりながら考え込んだ。そのつどボビーは三毛猫の会話をカナに通訳した。
そのうち、他の猫達も発言をはじめ、いつしかネコダマリは大討論会に発展した。

ニャ

ニャヤ〜

グルルル

ミャ〜オ

『ああ、もうみんないっぺんにしゃべるから、大変!』
「ねえボビー、今みんなどうなってる?」
『うん、えええと・・。ああ、それいいかも!そうだね!』
「ちょっとボビー。」
『ん?ああ、ええとね、絶対ケンジ君は後で来るから、
ここでみんなで励ましてあげようって・・・ああ、なるほど。それでね』

「うんうん。」

カナもボビーも猫達も輪になって真剣な作戦会議になった。

 落ち込んでいて、しばらくは外には出てこないだろうという、猫の長老の意見を参考にして、一旦みんなお昼を食べるために解散した後、もう一度集まった。

ボビーと三毛猫の作戦が実行に移された。
ネコたちは、みんなお墓の後ろや木陰などに隠れた。
カナもボビーと一緒に物陰に隠れてケンジが来るのを待った。

 15分ほどして、ケンジは一人でやって来た。ネコダマリに来て墓地のコンクリートに腰掛け、クロワッサンの形の港を見て深くため息をついた。指にはカナがさっき持って行った絆創膏がはってあったから、カナはちょっとうれしくなった。

やがて猫達が色んなところから、一匹また一匹現れた。

「は〜、お前らホカホカしてるなぁ。今日暑いからなぁ。」

とケンジはひざに乗った三毛ネコを撫でながら、そうつぶやいた。

カンコッコッ! カンコッコッ!

何かを三拍子のリズムで叩く音がした。

「ん?」
とケンジがきょろきょろ辺りを見た。

カンコッコッ!カンコッコッ!

ニャ ニャ ニャ ニャ

ケンジの周りの猫達が、その音に合わせて鳴き始めた、

「な?なんや?」

ケンジは思わず立ち上がろうとした。すると、

『イェイ!』

とトップハットをかぶったボビーが、ステッチを手に目の前に飛び出した。

「あ!ボビー!」
『ケンジ君!元気出してよ!』

ボビーは叫ぶと、ステッキを指揮棒のように三拍子で振り回し始めた。

カンコッコッ!カンコッコッ!

カナが、お墓のひしゃくと桶を太鼓のようにしてワルツのリズムを叩きながら、
物陰から出てきた。

「あれ?カナ?」

ニャ ニャ〜 ニャ ニャ

20匹以上のネコたちはやがて合唱隊のように、コーラスを始めた。

ボビーはそのコーラスと太鼓に合わせて唄い始めた

  ♪ ケンジくん~ (ミャミャ〜 ミャミャ〜) 

    いつもいつも (ミャミャ〜 ミャミャ〜)

    僕達ネコを    (ミャミャ〜 ミャミャ〜)

    かわいがってくれて (ミャミャ〜 ミャミャ〜)

    ありがとう!  (ミャミャミャミャ ニャ〜)

    この島の    (ミャミャ〜 ミャミャ〜)

    ネコたちは   (ミャミャ〜 ミャミャ〜)

    みんなみんな〜  ケンジ〜 くんが〜 だいすき!


    ラララララ〜  (ミャミャミャミャミャ〜)

    ラララララ〜  (ミャミャミャミャミャ〜)

 

ボビーはケンジの手を取って立たせて、その周りを回り始めた。
その後をネコたちもついていき、ボビー・ネコ
20匹とカナが、
歌いながらケンジ君の周りを回り始めた。

 

    ネコたちが  ついてるから  勇気出して 立ち向かって!

    いついつも  ぼくたちは けんじ〜 くんの〜 味方! (ドンドン!)

 

ミャ〜!

ボビーが唄い終わると一斉にネコたちが、ケンジに向かって鳴きながら足元に集まってきた。
ケンジはあっけにとられていた。

『ケンジ君!この歌はネコさんたちとみんなで作ったんだよ。』
とボビーが言った。
ネコたちは大きくうなづいた。

「そうなんや・・。」

ケンジはネコたちを眺めて、言った。

「そうやな、『ネコ男』で何が悪いねん。こんな友達がいっぱいおるんや!」
『そうだよ、ケンジくん。僕はやっとみんなとおしゃべりできるようになったから分かるけど、イヤなことも良い事も、ちゃんと口に出して言わないと伝わらないよ。』
「そうやな。みんな、それにボビーもカナもありがとう!なんか元気で出たわ!」
「よかったぁ!」
カナは大きな声で叫んだ。

ミャ〜 

ネコたちも一斉に叫んだ。

『これはね・・。』
とボビーはネコ語を翻訳しようとしたが、

「『良かったね』って言ってるンやろ?これは俺にも分かるわ」
とケンジは答えた。


(第22回へつづく)

  シーン22

ニャ 

悲鳴を上げながら、一匹の小さな白いネコが走ってきた。
よく見ると背中やお腹にマジックで落書きがされている。ネコたちは集まって白いネコを囲んだ。
白いネコは、グスグスとうなったり、フ〜!っと逆毛を立てたりしながら、大声を上げた。
その声を聞いて、周りのネコもフ~!と逆毛を立てた。

『男の子二人にむりやり落書きされたんだって。他のネコも狙ってるらしいよ。』
「あいつらだ。」
ケンジはその白いネコを抱いて、すっくと立ち上がり、
「嫌なことは嫌だって言わんとな!」
とネコたちに言った。

ニャ〜!

20匹のネコが一斉に答えた。

 白いネコの案内で、ケンジとカナ、ボビー それに20匹のネコたちが
みんなでカナの家の前の坂を降りて行った。
みんないつもより大股で、がしっがしっと大地を踏みしめながら坂を下った。
目の前にはずっとキラキラ光る海が飛び込んでいた。

フ〜!

 ネコの鳴き声がして、駆けつけてみると、あの吊り目と坊主頭が、別のネコを捕まえて
落書きをしているところだった。

「おお、ネコ男。俺らなぁ、島中のネコに名前書いたろうと思ってンねん。」

と吊り目が言った。

「お前も手伝えよ。」

と坊主頭が言いながらケンジのところへ近づいてきた。
ケンジは黙っていた。
ネコたちや、カナ、ボビーはその様子をじっと見ていた。

「おお、このネコさっき俺らが名前かいたってン!『アホ一号』言うねん。」

と坊主頭がケンジの前に立ちふさがりながら、鋭い眼光で言った。

「なあ、こいつもネコみたいなもんだから、名前書いたろうや、ネコ男って!」

と吊り目が言いながらマジックをもってケンジに近づいてきた。
ケンジはじっと二人をにらみつけていた。

「なんや、なんか文句アンのんか?いうてみいやぁ!」

吊り目がそういいながら絡んできた。

フ〜フ〜

周りのネコたちも低いうなり声を上げながら、毛を逆立てていた。

「ケンジ君!」

『ケンジ君!』

カナとボビーは小さな小さな声で応援した。

「やめろよぉぉぉぉ!」

遂にケンジは、どこからそんな声が出たのかと思うほど大きな声で叫んで、坊主頭に飛び掛った。。

「ネコが嫌がってるやろ!」

「なんや〜!」
と坊主頭がひっくり返りながら、ケンジが抱いていた白ネコをつかんだ。

その瞬間白ネコが、坊主頭の鼻の頭を思いっきり引っかいた。

「いて〜!」

坊主頭は思わず目を閉じて倒れこんだ。そこへ吊り目がやってきて

「何するんや。こいつ!」
と白ネコを平手打ちした。

「やめろ!」
ケンジは怒って、吊り目にも飛び掛った。不意打ちを喰らって吊り目は大きくひっくり返った。そこから先は、ケンジも無我夢中で暴れた。
途中で、ネコたちも加わり、吊り目のあしや、坊主頭のいがぐり頭を引っかきまくった。

「ぎゃ〜!」
「いててててて!イタイイタイ!」

フ〜! シャ〜!

やがて、

「あやまれ!」

と叫ぶケンジの声が聞こえてきた。

「ごめんなさい。」
と吊り目と坊主頭は引っかき傷だらけになって、ふてくされて言った。
「こんなん、体に書かれたら誰かってイヤやろ?ネコも同じなんや!ちゃんとネコに謝れよ!」

とケンジは白ネコを抱いて、吊り目と坊主頭の前にグッと差し出した。

「あ、ごめんなさい。もうこんなことしません。」

と二人は力なく、白ネコに言った。

ニャ

「ホンマにごめんなさい・・。」
と二人はトボトボと坂を下って行った。

「やったね!」

と物陰に隠れていたカナとボビーはケンジのところへ行った。
ケンジもネコたちも傷だらけだった。

『勇気を出して、言えたね』
「うん、とにかくみんなを守らなぁあかん!と思ったんや。ボビーの言うとおり
言わなきゃあかんもんなぁ・・。」

ニャ〜ミャ〜!

『みんなが ありがとう って!』
「ボビーこれも俺、分かったわ。あ、あははは。」

ネコたちがケンジの足や手にある傷を一斉になめだして、ケンジはくすぐったさに大笑いした。

 『ネコさんとケンジ君』

『きょうはたいへんないちにちでした。

 大きなおとこの子たちが、ネコをいじめてらくがきをしてました。

 ケンジくんがちゃんと「だめだよ!」と言って、おおきなおとこの子とケンカしました。

 たいへんだったけど、さいごにはケンジくんがかちました。

 おとこの子たちは「ごめんなさい」とあやまりました。

 ネコさんたちはニャンと鳴きました。

 ケンジくんは、ちょっとかっこよかったです。


(第23回へつづく)

 シーン23

 カナは夜ご飯を食べてお風呂に入った後、部屋に戻って日記を書いた。ボビーは今、ゼンマイが切れて、ちょこんと座っていた。

「算数ドリルもやらなきゃいけないナァ。ママと約束したからなぁ・・。」

とドリルを開いたけれど、全然鉛筆が進まなくて、ため息をついた。

パチンパチン

気がつくと、またカナは左手の人差し指に赤い輪ゴムを絡めていた。

パチ〜ン!

赤い輪ゴムが指に思ったよりきつく、指に当たった。

「いたたた。」

と手を振りながら、ふとカナは机の脇のドリルやノートが積んであるところを見た。するとカナが先日パパに書いた手紙が挟まっているのがチラッと見えた。

「あ!そうだ!これパパに出さなきゃいけないよね。」

ギコギコ

急いでカナはボビーのゼンマイをちょっとだけ巻いた。

カチッ

『ふああぁ。』

「ボビー、あのね、明日トマスじいさんのところへ行こうよ。パパにお手紙届けて
もらうんだ。」
『そうだね、じゃあさ、お手紙を封筒に入れなきゃね。』
「あ、そうか・・。どこにあるんだろう?」
『よいしょ。今日は疲れちゃったね・・・。』
といいながらボビーも立ち上がって、部屋の中の、ママの机のあたりを見た。すると、薄い紫のベイズリー柄の大人っぽい横開き封筒が
1枚あった。

『あ、あったよ。』
ボビーが指差すほうをカナも見た。

「ホントだ。ボビーありがとう。じゃあ、明日行こうね。」
『うん。カナちゃん、ファァァァ。今日はボビーもお休みするね』
「うん、おやすみ・・・。」

カナもいつの間にか、机に座ったまま眠ってしまった。でもママがカナを抱き上げて、ふんわりとタオルケットをかけてくれたときの温かい手と、温かい雰囲気はちょっとだけ覚えていた。

 

 次の日、カナは午前中ケンジのうちで、アジの開き作りを手伝うと、ケンジのバアバにお弁当を作ってもらって、奥の院まで行くことにした。
前回はトマスじいさんとばったり出会ったから、迷わずに行けたけれど、
今回は二人だけで行くから、時間がかかりそうだったからだ。

「奥の院にハイキングに行くねん。」
オバアにケンジが話したら、

「えらい遠いところまで行くんやな。ちゃんとした靴はいて行きぃ。」
といわれて
二人ともいつものサンダルじゃなくてスニーカーに履き替えた。

 下のお寺まではとても近いのだが、そこからずっと石の階段を上っていく。なにしろ奥の院は昔、ある偉いお坊さんが村に下りて行けないような遠いところで、修行をしたから、奥の院というそうだ。この前は下りだったし、不思議なことをいっぱい体験した後だったから気分もまだドキドキしていて足取りが軽かったけれど、今回は本当に階段を登る足が重く感じた。

「ねぇ。ケンジくん!ちょっと休憩!」
「え?カナ、まだまだあるデェ。」
「でも、ちょっと休憩。」
と座り込んで、ボビーのゼンマイを巻いた。

カチッ

『カナちゃん、汗かきすぎ!』
「そんな事言ったって!暑いんだもん。」

と言って、周りを見渡すと、大きなくすのきがたくさん植えてあって、緑のトンネルのようになっている。下は石段に昔の落ち葉なんかが落ちていて、せみの鳴き声が一瞬やむと不思議に音が全然しない。

「あぁぁぁぁ!」

とカナは叫んでみた。すると、緑の中に全てが吸い込まれるような森だった。

「急ごうか。」
『こんなとこ、人来ないよね。ボビーも歩く』
「そうだね。」

二人と一体は、また歩き出した。

  ♪ ラララララ〜 二人の乗った ゴンドラが〜

     ラララララ~ 二人の乗った ゴンドラが〜

カナとボビーが「夢前案内人」を輪唱し始めた。

『ねえ、ケンジ君も一緒に!』
「え?だってこの歌、百恵ちゃんのやろ?おれさすがに知らんわ。
聖子ちゃんの新曲なら、姉ちゃんが歌ってるから知ってるけど。」

『大丈夫、カナちゃんだって適当に歌ってるんだから、前の人と一緒のことを歌えばいいの』
「適当って何よ。」
『ゴメンゴメン。でも、ね?一緒に歌おうよ。カナちゃん、ボク、ケンジ君の順番ね』
「おお、まあいいよ。」

  ♪ ラララララ〜 二人の乗った ゴンドラが〜

     ラララララ〜 二人の乗った ゴンドラが〜

      ラララララ〜 二人の乗った ゴンドラが〜

    波も立てずに 滑っていきます〜

     波も立てずに 滑っていきます〜

      波もハヘハフ〜 フンフンフンフン〜

「ちょっと!」
「だって、よう聞こえヘンねんもん。」
『まあ、いいじゃない?』

   ♪ ラララララ〜 二人の乗った ゴンドラが〜

      波もハヘハフ〜 フンフンフンフン〜

 

     ラララララ~ (ラ〜ラァァァ〜)

      二人の乗った ゴンドラが (ルルルル ゴンドラが〜)

     波もハヘハフ〜 (ゴンドラが〜)

    フンフンフンフン~  (ララララララ〜)

カナとケンジが唄うと、ボビーがハモッたり、別フレーズを入れたりして、
なんだかアンサンブルみたいになった。気がつくとみんなの足取りも軽くなり、
石段をズンズンと登っていた。

「あ、あれ見てみぃ!」

ケンジが指差すほうを見ると、赤に近い紫色をしたアジサイが固まって咲いていた。

「あのアジサイを曲がるンやったよなぁ?」
「え?もっと青っぽいお花だったよ。」
「ああ、アジサイは時期によって色が変るねん。夏になるとこうなるンやで。
まあ
ついてきぃな。」

というと、ケンジは小走りになった。カナとボビーはゆっくりついていった。
 すると、あの時と同じように急に池が現れた。カナは嬉しくなってボビーを抱いて、
走り出した。ケンジも負けじと、二人は先を争って池のほうへと走っていった。

池のほとりにはあのお店があった。トマスじいさんの不思議なお店があった。

「おじいさ〜ん!」

とカナは大きな声を上げて呼んでみた
ところが、表の引き戸がしまっていて、中に人の気配がしない。

「おじいさん!」

返事がなかった。表に吊ってある金魚の風鈴も今は風がなくて、音がならない。

『ふ〜ん。今お出かけしてるみたいだね。』
「待つか。」

ケンジは仕方なさそうに、近くの木の切り株に腰掛けた。カナも隣に座った。
すると、

「おお、来てたのかい?」

と、トマスじいさんが店の裏手から出てきた。

「あ、おじいさん!」
「やぁ、カナちゃん、こんにちは。暑いネェ」
「うん、」
「ボビーはいい子にしてるかい?」
『うん、いつもカナちゃんと一緒なの』
「そうか、そうか。」
「あのね、トマスおじいさん。今日はカナ、お願いがあるの。」
「ん?どうしたんじゃ?まあ、中で話を聞こう」

と、トマスじいさんはみんなを店に入れてくれた。

 店の中に入ると、ちょっと様子が違っていた。
店の中に並べてあった光るガラス瓶が全部棚から無くなっていた。

「ねえ、どうしたの?」
「ビンが全然ないなぁ。」
「いや、実はな・・。」
と白いひげを撫でながらトマスじいさんが話し始めた。

「わしは、旅行に出ようと思ってるんじゃ。」
「旅行?」
「うん、まあこっち来なさい。」

とトマスじいさんに導かれて、奥の温室に入ると、

「うわ〜!」

カナとケンジはビックリして大声を上げた。

なんとそこには小さな家ぐらいの大きさの、大きな大きな藤のバスケットが
温室の中においてあり、その周りにガラス瓶がいっぱい置いてあった。

『おじいさん、これなあに?』

と、唖然としている二人に代わってボビーが質問した。

「ああこのバスケットに乗って旅行するんじゃよ。」
「どうやって?」
とようやくカナが口を開いた。

「ガラス瓶がいっぱい見えるじゃろ?たくさんの風船で持ち上げるんじゃ。」
「うぁ〜。すごい!」

すると、雲が晴れ温室に真上から夏の光が差し込んだ。急に明るくなった温室の中で、
無数のガラス瓶が乱反射して、さまざまな色で光りだした。
それはまるで、池のそこで光る白い石晶のように見えた。

「表のアジサイを見たじゃろ?あの目印の花ももうすぐしぼんでしまう。するとわしの店に来る人もいなくなるからな。別の町でお店を開いて、また来年戻ってくるよ。」
「え〜でも、カナは来るよ!遊びに来るよ!」
「俺もや!だってあの風船すごい面白かった!」
「旅行なんて行かないでよ!」

カナとケンジはトマスじいさんに懇願した。

「ごめんなぁ。世界中には『直してほしいもの』を持って待っている子供達が
いっぱいいるんじゃ。」

そんな二人の頭をトマスじいさんは優しくなでた。なんだか袖口からいいお花のにおいがした。

「お?指を怪我してるのか?ちょっと見せてごらん。」
「ん。」
とケンジは左手を出した。中指にはカナがあげた絆創膏が貼ってあった。
トマスじいさんはオレンジ色のやわらかい布で、ケンジの指を包んで、
23度撫でた。

「さあ、これで治ったぞ。」
「え?指が?ホンマぁ?
」と半信半疑でケンジが自分の絆創膏を取ると、フワフワふやけた指先から、傷口が消えていた。

「あれ?」
ケンジが不思議そうに指を掲げた。

「すごい、傷が無いよ!」
カナも驚いて言った。

「ここは『なんでも なおします トマスじいさんの おみせ』じゃよ。」
トマスじいさんは自分の胸を指差して言った

「・・・あ、そうだおじいさん。カナね、お願いがあるの。」
「ん?ナンじゃ?」
「あのね、パパとママを元どおりにして!」

トマスじいさんはにっこりと笑った。
ボビーがカナをつついて、
『カナちゃん。あの手紙。』
と言った。

「あ、そうだった。あのね、カナね、パパに手紙を書いたの。」
とうす紫色の封筒をポッケから出した。

「おお、これがあれば二人は仲直りできるよ。ちょっと待ってなさい。」
と、トマスじいさんは、その封筒を受け取ると。
大きなバスケットの中に入っていき、赤いガラス瓶とピエロの栓抜きを持って出てきた。

「カナちゃん。じゃあ、『パパにお手紙が届きますように!』ってお祈りをしてから、この栓抜きでビンを開けてごらん。さあ、カナちゃんのビンをみんなで押さえていてあげよう。」

その声で、赤いガラス瓶をトマスじいさん、ケンジ、ボビーがグッと抑えた。
特に一番背が低いボビーは足もつかって押さえた。

「いくよ、『パパにお手紙が届きますように!』」

なかなか、カナの力では開かなかったが、ついに・・。

ポン!

と音がして、

シュワシュワシュワ!

と泡が出た後にプク~っと大きな赤い風船が膨らんできた。

そして、全部膨らむと、ゆっくりふわりと浮かび上がり
、手乗りの九官鳥みたいに、カナの手元にふわふわとやって来た。

「さあ、カナちゃん。その風船についている紐に、カナちゃんのお手紙を結び付けてごらん。」
「うん!」

カナは、トマスじいさんから、封筒を返してもらって、風船の紐でぐるぐる巻きにし、
最後にぎゅっと結んだ。

「結んだよ!」
「じゃあ、もう一回風船さんにお願いしてごらん。」
「風船さん、カナのお手紙をパパに届けてね。お願い!」
とお願いすると、風船にキスをした。赤い風船はさらにちょっと赤くなった。

『あ、風船さん、照れてるよ』
とボビーが笑った。

その言葉をきっかけに、風船はふわふわと浮かび上がった。

「風船さん、おねがいね!パパに届けてね!」
カナは風船に向かって、何度も何度も手を振りながら叫んだ。

風船が天井近くになると天窓が開いて、風船はふわふわと外に飛び出し、やがて見えなくなった。

『行っちゃったね』

見えなくなってからも、ずっと手を振り続けているカナに、ボビーが声をかけた。

「うん。パパが読んでくれるのが楽しみ。」
とカナもニコニコと答えた。

「ねえおじいさん。これでパパとママは元通りになるの?」
とカナは尋ねた。

「ん?あとはね、きちんと声を出して、カナちゃんが『パパとママが仲直りして欲しい』っていう事が大切じゃよ。ケンジ君はネコを守るために大きな声を出した。
カナちゃんは出来るかな?」

「うん!出来るよ!」
「よし、それなら大丈夫じゃ。さあ、わしも準備しなきゃいかん。カナちゃん、ケンジ君またな。」「え?もう会えないの?」

カナはトマスじいさんの服の袖をつかんで言った。

「カナ、おじいさん好きよ。ボビーにゼンマイをつけてくれたんだもん。」
「ハハハ、ありがとう。大丈夫。またきっと会えるよ。それに大切にしていれば
ゼンマイ仕掛けのボビーはカナちゃんが大人になって、ママになるまで一緒にいられるよ。
なぁ、ボビー。」

『ええ?カナちゃんがママになるまで!』
「そうだよ。だからボビーを大切にするんだよ。」
「うん!」
「ケンジ君は、ネコたちがついてるから大丈夫。昨日みたいに友達を守りたいと思う
気持ちを忘れるなよ。」

「え?見てたン?」
「ああ、見てたよ。ここは高いところだから、何でも見える。下のお寺でネコ集会やっとったろ?なあボビー。」
『あ、ハイ。』
「あの歌は良かったぞ。」
『ありがとう!』
「カナちゃん。カナちゃんはボビーと仲良くしてやってくれよ。」
「うん!もちろん!」

カナはボビーを抱き寄せて、鼻の頭にチュッとした。

『くすぐったいよぉ』
とボビーはすごく嬉しそうに叫んだ。

 

「そうだ、みんなにいい物をあげよう。」
とトマスじいさんは、またバスケットに入って何か取ってきた。手には青と、オレンジ色の
二つのガラス瓶、それにレコードが一枚が握られていた。

「あ!」
とケンジは大きな声を上げた。

「くれるの?!」
「そうだよ。どっちがいい?」
「俺、あお!」

「じゃあ私オレンジ!」

「ハハハ。はい。大切にするんじゃよ。」

「うん!ありがとう!!」

カナとケンジは声をそろえて、大きな声でお礼を言った。

「モチロン、いつあけてもいいけれど、まあ、あまり人がいるところであけてしまうと、風船があっという間に飛んでいってしまうから、出来れば周りに人がいない時にあけると長く遊べるよ。あと風船は音楽が大好きだ。歌ってあげてもいいし、レコードをかけてあげてもいい。ピアノを弾いてあげても良い。いい音楽があれば風船はその場にずっといるよ。」

「音楽かぁ・・。おれ苦手なんやナァ。」

「ハハハ、ケンジ君、君いまいくつだい?」

「え?9歳。」

「君は今から始めれば遅すぎることなんて何にもないさ。」

「そうか・・。そうやね。」

「それにな、こういう髪の毛の子供は歌が上手になるんじゃよ。」

と、トマスじいさんは、大きな手でケンジの天然パーマをぐしゃぐしゃ 撫でた。

「そうなんや・・。知らんかった。」

「あと、ボビーにはこのレコード。」

『ありがとう。』

「このレコード『くるみ割り人形』はきっとお前の役に立つよ。」

『うん!』

「さあ、もう帰りなさい。また今度、アジサイが咲く頃においで。」

「うん。ありがとうおじいさん。」

カナは、おじいさんのほっぺにチュっとした。

「ハハハ、またな。」

カナとケンジ、ボビーはお店から走って出ようとしたが、出口のところで振り返って、

「おじいさん!バイバ〜イ!」

と大きな声で手を振った。

おじいさんも、はにかみながら手を振ってくれた。

3人は店を走り出て、池のほとりからアジサイの道を過ぎた。すると今まで不思議なぐらい聞こえなかったせみの声が、急に覆いかぶさってきて、せみ時雨のトンネルにいるような感覚になった。

見ると、アジサイはもうほとんどしぼんでいて、最後に残った赤紫の花が咲いていた。

「また、来ような。」

「うん」

熟れたアジサイの花の、濃厚な香りに立ち込められた石段で、二人は指切りをした。

  ゆびきり げんまん うそついたら ハリセンボン の〜ます。

ボビーはその様子をニコニコと見ていた。


( 第24回に続く)

   シーン24

毎日毎日 ノースリーブのシャツで遊びまわっているので、カナの肩や首の辺りは
日焼けでヒリヒリしていた。お風呂に入れば後から気持ちよくなるのだけれど、
入る瞬間はとても痛いから、いつもお風呂の前でぐずぐずしていた。

そんなときにママが通りかかると、絶対「早く入りなさい」って怒られる。
でも、今日はやさしく「一緒に入ろうか」と言ってくれた。

 家ではパパと一緒に入ることのほうが多かった。パパはお風呂の中でタオルを使って
大きな泡を作ってくれたり、指で水鉄砲を作るやり方を教えてくれたりするから
大好きだったけど、ママはそんなことをしない。
ママは、一緒に入ると頭とかをふんわりと洗ってくれる。
いつものパパのグアシャグアシャという洗い方に慣れてしまったカナは、
それでは物足りないけど、今日みたいにヒリヒリする日には丁度いいかもしれないと思った。

 ママはいつもゆっくり服を脱ぐので、カナは先に服を脱ぐと急いでお風呂に入った。

「こら!カナ!脱ぎ散らかさないで!」

とママが言ったので、仕方なく一旦出て、脱衣カゴにワンピースとパンツを畳んで入れてもう一度入った。

「ねえ、カナ。ママとパパとどっちが好き?」

二人で湯船に入ると、いきなりママはすごいことを聞いてきた。カナはただでさえ肩や背中が痛いのに、そんなことを言われて縮こまってしまった。

「え、そんな・・パパも好きだし、ママも好きよ。」

「パパに会いたい?カナ。」

「うん!会いたい!パパにボワッてやって欲しいの。」

「なに?『ボワッ』って?」

「パパがねお風呂にタオル入れて泡を ボワッて作るの。」

「え〜、やだ、あの人そんなことしてるの?カナ、ホントはお風呂にタオル入れちゃいけないんだよ。」

「え?そうなの。・・・・」

カナはパパを裏切ったような気がして、いっそうがっくり来た。

「あのね、カナ。実はね。」

改めてママが、少し怖い顔をして言った。

「うん。」

「ママとパパは今、ケンカしてるの。」

「知ってる。」

「ママもパパも、しばらく会いたくないと思っていたの。」

「・・・・。」

「特にママはね・・・・。」

「・・・・・・。」

「パパって優柔不断なの。」

「ゆーじゅーふだん?」

「あのね、パパは自分のやりたいことを全然言わない人なの。
ママが決めないとお仕事も
家の事もなんにも決められないの。
でもママはパパのママじゃないから、ママ疲れちゃったの。」

「・・・・でも、パパやさしいよ。」

「うん。」

「ママはパパのこと、もうキライなの?」

「う〜ん、どうかしら?」

「・・・・・。」カナはうつむいてしまったが、意を決して、

「カナはパパのこと大好きだよ!」と叫んだ。

「・・・・・そうなんだ。」ママは複雑な顔をして、カナの前髪を撫でた。

しばらく沈黙が続いた。

「でね、バアバと話してね。ママ決めたの。」

「・・・・。」

「今度ママ、一回パパとゆっくり話さなきゃって。」

「うん。」

「で、パパがこっちに来るかもしれないの。」

「・・・え?」

「だからね、ママとお話しに、パパがこっちに来るかもしれないの。」

「え〜!ホント!!やったぁ!パパと会える! やったぁ!」

カナはザバッと湯船から立ち上がると、縁に腰掛けてバンザイした。
そんなカナの表情をママはちょっと複雑そうに笑わずに見ていた。

風呂から上がって、先に部屋に戻ったカナは、ボビーのゼンマイを巻いた。
動き出したボビーに「パパが来るかも?」と話したら、ボビーは仰天して言った。

『え?ホント!やったね、カナちゃん。手紙が早速届いたんだね?』

「あ!そうだよ、きっと。やった〜何して遊ぼうかな?」

『パパさんと会うの楽しみ!』

「あ、・・・でもパパの前でボビーのゼンマイを巻けないんだよね。」

『あれ?そうだった。・・・・いや、でもいいよ。パパさんがいればそれで十分。』

「うん、そうだね。楽しみだなぁ・・・・でも、ボビーも遊びたいよねぇ。」

『いやホント気にしないで。ボクはそっと見てるから。』

「そうかぁ・・・。何か方法ないかな?」

すると、誰からが階段を登ってくる音がした。とっさにボビーは動かなくなり、
カナは
机に漢字ドリルを広げて、宿題をしている振りをした。やって来たのは、バアバだった。

「どう?カナ。お勉強してる?」

「うん、バアバ。」

「カナは、このヌイグルミといつも一緒やねぇ。」

とバアバはボビーを手に取ると

「私カナ。よろしくね。アハハハ。」

と手を動かしてパペットみたいな動きをさせた。カナはきょとんと見ていたが、バアバは上機嫌で続けた。

「むかし、バアバも真理子によくこうしてお人形遊びしてあげたもんやぁ。」

「へ〜。」

「ところでな、カナ。昭洋パパが明後日来る事になったんや。」

「え?明後日!決まったの!」

「あれ?聞いてたんか?」

「うん、お風呂でママから。」

「おお、そうか。でな、真理子はどう言うか知らんが、私は昭洋さんはエエお婿さんやと

思っとるんや。」

「カナも!」

「そうやろ?あの人はやさしくてカナにはぴったりのパパじゃよ。だからバアバも協力するから、カナはママとパパを仲良くさせて、真理子に『ああやっぱり昭洋さんと一緒に住もう』という風にさせようなぁ。」

「うん!やるやる!」

「でな、絶対昭洋さんが来ても、はじめのうちは真理子もああいう調子やし、ジイジはビールばっかり飲んどるし、絶対くら〜い感じになると思うんや。」

「そうだねぇ。」

「そこで、カナの出番や。例えばカナは、昭洋さんが来たら、なにか歌でも歌ってあげるとか、絵でも描いてあげるとか、何でもエエねん。なにかしたらそれで盛り上がるやろ?

なぁ・・・?何かやってくれへん。」

「分かった!カナ考えてみる。ねえ。ケンジ君と一緒にやっても良い?」

「あ。なるほどなぁ。エエよエエよ。よし、バアチャン、ケンちゃんの好きなマグロ料理作ったろぉ!あ、真理子トイレから出てきた。じゃあ、よろしくなぁ。」

「うん!」

「あ、それからな。」

とバアバはまたボビーを手にとって、パペットのように動かして、

「真理子ママには内緒にしてね。」とかわいらしい声を作って言って、急いで部屋から出て行った。

「フフフ。分かった!秘密ね!」

カナも嬉しくなって、うなづいた。

バアバが部屋から出て行くと、ボビーがむっくり起きだしてきた。

『は〜、びっくりした。バアバ、急に僕の手とかを掴むから、くすぐったくって笑いそうになっちゃった。』

「ネェ。ボビーどうしよう。何したらいいと思う?」

『ボク思ったんだけどさ・・・。』

「え?なぁに・・。」

ボビーはカナの耳元で何かささやいた。

「ああ、なるほど。それいいね!『ボビーありがとう』。」とカナはボビーの声真似をして言った。ボビーはくすぐったそうに笑った。

  (第25回に続く)

   シーン25

 次の日、カナはケンジに、パパが来ることを話し協力をお願いした。ケンジは、はじめはちょっと渋っていたが、カナに頼み込まれて、さらにバアバが「ケンジの好きなマグロ料理いっぱい作ったろぉ」といっていたのをカナから聞いて、

「まあ、しゃあないなぁ」

OKしてくれた。

 

二人はとりあえず、画用紙をたくさん用意して、カナの部屋で、大きな大きな絵を何枚も描いた。カナの色鉛筆だけじゃなくて、ケンジにもクレヨンや絵の具を持ってきてもらって、しっかり見えるように絵を描いた。

ボビーは、絵の具がお水を使うので濡れないように、遠くで乾いた絵筆を振り回しながらあれこれと指示を出していた。

『カナちゃん、そこもっと青塗って! ケンジ君・・・それ何?』

「え?見て分からんかぁ?これボビーやで。」

『え〜、もっとボクかわいいよぉ』

 

 その日、ケンジが夕方に帰り、ママが入れ替わるように帰ってきた。ママはちょっと髪の毛を切っていた。その日の晩御飯はちょっと変っていた。いつもなら良くしゃべるバアバや、カナにいろいろとうるさくいうママもとても静かだった。

いつもと変らないのは、ジイジだけで、

「ビールくれ!」と10分ごとに言っていた。

カナも、みんなが静かなので、一人で鼻歌を歌いながらご飯を食べていた。

  ♪ ラララララ〜 二人の乗った ラララララ〜

「あら?カナ、よくそんな歌知ってるわね?百恵ちゃんでしょ?生まれてないよね?」

と、ママはポツリと気がついてカナに聞いた。

「さあ?バアバが唄ってたの。」

「あ、母さん、いやねぇ。」

「私のカラオケ18番やもん。別に意味ないよぉ。」

 ジリリリリ

その時、玄関口にある黒電話がけたたましく鳴り響いた。バアバもママもビックリして文字通りいすから飛び上がった。

「どうする?真理子。」

「か、母さん出て。」

「え?そう・・。」とバアバは椅子から立ち上がって、玄関口のほうへ小走りに行った。

「はい、・・・あああ、お久しぶり。元気やったぁ?うん。」

バアバが電話を取り、話し出すと、ママは箸を止め、その姿勢のまま目を閉じてバアバの声に集中した。バアバは知ってか知らずか、いつもより大きめに電話口でしゃべっていた。

「二人は元気よぉ!カナも会いたい言うとる!」

「パパだ!」カナが叫んで、電話口のほうへ走っていったが。

「明日、うん、6時ごろやな?はいはい。気をつけていらっしゃい。じゃあ。」

とバアバは電話を切ってしまった。

「ああ、カナ話したかったのにぃ。」とカナはバアバのエプロンを掴んでちょっとごねた。

「ごめんごめん、ちょっと大事な話があったんや。でも明日。6時ごろ付くそうやでぇ。」

と、二人がニコニコとダイニングへ帰ってくると、ママは席を立っていて、ジイジが一人でビールを飲んでいた。台所からは無言で洗い物をするガチャガチャという音がいつもより大きめに聞こえた。

(シーン26につづく)

    シーン26

パパが来る日の朝になった。

カナはこの家に来たのとおんなじの、ちょっといい服を朝から着て、髪の毛にも、取って置きのカチューシャをつけた。ママはやっぱりパートのお仕事があって急には休めないので、夕方パパより遅く帰ってくることになった。

「パートだろ?休めないの?」とバアバが言うと、

「『パート』だからこそ休めないの。」とママは言い返して、坂を下って行ってしまった。

ジイジもトラックをボコボコと跳ねさせながら、みかん山へ登っていってしまい、ボビーを抱いたカナとバアバが玄関にぽつんと残った。

「さぁて。掃除でもするかなぁ?昭洋パパがこの家に来るのは、カナが生まれる前以来だからねぇ。」

「あ、パパってここにきたことあるの?」

「あるよぉ。バアバとジイジに、ママと結婚させてくださいって言いに来たンよ。」

「え?どうだったの?そのときのパパとママ。」

カナは、初めて聞く話なので、興味しんしんになったが、気がつくとカナが抱いていたボビーもこっそり耳をバアバのほうに近づけていた。

「ん?パパ緊張してたでぇ・・。で、ジイジがあの調子でビール飲むやろ?それで、昭洋さんも飲んだから酔っ払ってしまって。」

「え?パパってお酒飲むの?」

「家では飲まないんやろ?でも、ジイジに気を使ったんやろなぁ。それで酔っ払って

唄いだしたンや。」

「え?」

「それがあの歌。百恵ちゃんの歌やったなぁ。」

とバアバは思い出すように、遠く海のほうを見ながら唄いだした。

  ♪ 月夜の海に 二人の乗った ゴンドラが

    波もたてずに すべって 行きます

    朝の気配が 東の空を ほんのりと

    ワインこぼした 色に 染めていく〜

カナは、大きくうなづいた。

「そうかぁ・・。そういう歌だったのぉ。」

「だから、真理子はカナがそれ歌いだした時、びっくりしてたんやぁ。」

「カナが生まれる前の、パパとママの事聞くのって、楽しいね。」

「ふふふ。そうやなぁ。」

とバアバは言いながら、ぎゅっとカナを抱きしめた。

カナは急に抱きしめられたのでビックリしたが、締め付けられている感じはとても心地が良かった。

 

 そして、快晴だった夏の太陽も次第に西へと傾いていった。

ジイジのおんぼろトラックには二人しか乗れないから、バアバとカナは家でお留守番していた。さらにケンジも夜の出し物のためにカナのうちに遊びに来ていたが、カナがそわそわとして全然落ち着かないので、仕方なく一人でカナの部屋で準備を進めていた。

カナはボビーを抱きしめながら、4時半ぐらいからずっと玄関に立っていた。

『さすがにまだ早いんじゃない?』

「だってぇ。」

『ここ暑いよぉ』

「だってぇ。」

『ケンジ君のほう、手伝わなくていいの?』

「だってぇ。あっ!」

軽トラックが家の前の坂を通り過ぎる音がした。

「な〜んだ。」

『もう、カナちゃん。ビックリさせないでよ。ゼンマイ止まっちゃうかと思ったよ。』

「だってぇ。」

(シーン27につづく)

   シーン27

せみの声がやみ始め、本当に夕方がやって来た。カナは緊張して思わず輪ゴムを左手に絡めてパチパチと音をならせ始めた。すると明らかに他の自動車とは違う、こちらに向かいながらボコボコ跳ねて来る軽トラックの音がした。

「あ!これ絶対パパだ!パパが来たよぉ!」

カナは家の中にいるバアバとケンジに大声で知らせてから、ドアから飛び出した。するとちょうどジイジの白い軽トラックがエンジンを止めるところだった。

「パパぁ!」

カナはもう一回叫んだ。すると、ドアがガチャリと開いて、ぽかんと赤い風船が軽トラックの屋根から顔を覗かせた。

『あ、風船』思わずボビーも小声でビックリした。

「オッス!カナ。元気だったかい?」

小柄でやせていて、メガネをかけて、白いポロシャツとジーンズ姿のカナのパパが車から降りてきた。手には赤い風船と、紫色の封筒を持っていた。

「パパ!」

カナはパパに突進して、飛びついた。小柄なパパはちょっとよろめいた。

「カナ!」パパはカナのほほにキスした。カナは真っ赤なほほになって笑った。

「パパ、カナのお手紙読んでくれた?ねぇ。」

「ん?お手紙・・。ああ、ママの手紙に一緒に入ってた奴だね。うん読んだよ。ありがとう。」と言うパパの手には、切手が貼ってあって、ママの字で宛名が書いてある、あの紫色の封筒が握られていた。

「ほら、これ、カナにおみやげ。とんでっちゃうから気をつけて。」

と、パパは手に持った赤い風船をカナに手渡した。

「風船さん。パパに手紙を届けてくれてありがとう!」

とカナは風船にチュッとした。

そこへバアバとケンジがやって来た。

「あらあら、昭洋さん、お久しぶり。」

「お母さん、ご無沙汰してました。」

「ゴメンネェ、聞いたと思うけど真理子、まだパートからもどらンのよ。」

「あ、そうですか。まあ、待たせてもらいます。」

「ところで、カナ。どうしたの?その風船。もらったの?」

「うん!」

「あ!赤い風船!」とケンジも大きな声を上げた。

「ああ、この子は近所の子でカナと仲良しのケンジ。ほらケンちゃん、カナのパパに挨拶は!」とバアバはケンジの頭を小突いた。

「ああ、どうもっす。」

「ハハハ、カナと遊んでくれてありがとう。いい髪型してるな?天然?」

「うん!テンパやねん。」

パパはそう言うケンジの鳥の巣頭を、ごしごしとなでた。

「いや、船に乗る前に風船を配ってて、ちょうどいいから赤い風船をもらってきたんですが、カナがこんなに喜んでくれて・・・。」

とパパはバアバに説明した。

「なぁ、婿さんも来たことやし、今日はビール飲むでぇ。」

と荷台からパパの荷物を降ろしたジイジが、だみ声で叫んだ。笑い声が自然に起きた。

卓には、今日一日バアバが作っていたご馳走が並んだ。カナはバアバをお手伝いした。

「パパ!ご飯はこぶから、ボビー持ってて!」

「お?おお。ボビーも久しぶりだな。」

パパはボビーの頭の後ろをやわらかく撫でた。ボビーはカナとケンジにだけ見えるように、にっこりとした。カナはお箸や食器を運ぶときに、なぜかウキウキとした気分が湧き上がってきて、パパの前に食器を運ぶたびにパパのほっぺにキスした。全部のお食事が並んだころ、

 ピンポ〜ン

と呼び鈴が鳴った。

「あ、ママだ!」

とカナは玄関のほうへ走り出した。

ドアを開けると、ママがちょっと深呼吸していた。

「ママ、ママ!パパ来てるよ!」

「あ、あ、そう。」

「早く早くぅ。」とカナはママの手を引いて食卓へと連れて行った。

ママがダイニングへ行くと、すでに食卓にはジイジ・バアバ・パパとケンジが座っていた。

「お帰り。」

バアバはやさしくママを出迎えた。

「久しぶりだね。」とパパはママに言った。

「うん。」短くママは答えた。

それきり会話が一瞬途切れてしまった。

 ニャ~

外でネコが鳴いた。

「あ、お邪魔してます。」ケンジがそのネコの鳴き声をきっかけにママに挨拶した。

「あ、ああ、カナの友達のケンジ君ね。」

「はい。」

また会話が途切れた。

ママもパパもお互いの顔を見ないでいた。

 ニャ~

また外のネコが鳴いた。

「あの、ビール飲んでいい?」とジイジがつぶやいた。

「食事にしようかぁ。」とバアバがカナに言った。

 ママも食卓について、みんながそろった。カナは久しぶりにパパとママの間に挟まれて、座ったので、ニコニコしていた。

「いただきま〜す!」

みんなが言うのと同時ぐらいにジイジがビールの栓を抜いた。

「いや〜、ビール、ビール。」

「あ、お父さんボクが・・。」ととっさにパパがお酌した。

「あ、そうかい?お婿さんについでもらうなんて嬉しいネェ。・・・とっと。

さ、婿さんもどうだい?」

「あ、じゃあ・・。」

「パパ、今日は酔っ払って歌いだしちゃダメよ。」とカナがすかさず注意した。

「え?カナ知ってるの?」

「バアバに聞いちゃった。」

「困ったナァお母さん。じゃあ、カナに言われたので今日は一杯だけ。」

「父さん。私もちょうだい。」とママも言い出した。

「え?真理子。酒飲めるン?」とジイジが言うと

「飲・み・た・い・の。」とママは一語一語区切りながら答えた。

「じゃあ、もし良かったら。」とパパがビール瓶を持った。

ママはパパの顔を見ずにグラスを出した。

パパは静かにママのグラスにビールを入れて行った。カナはパパとママがお酒を飲むところをはじめて見るので、目の前のママのグラスをきょとんとして見ていた。

「じゃあ、改めて 乾杯。」

とパパはジイジとママに言って、グラスを上げた。あわててカナもジュースのコップをこつんとパパとママのグラスにぶつけた。
和やかな食事が始まった。特にパパとバアバや、パパとカナはいっぱい話をしたが、ママはただ黙々と食事をしてだれともお話をしなかった。カナがママに話題を振っても、

「そうね。」

としかいわなかった。ケンジも中々話題に入っていけなかったが、

「いや〜、カナのバアチャンの料理美味しいナァ。」ともりもりとマグロのから揚げを食べながら思わず大声で言った。

「そう?ケンちゃん。ありがとう。」

「ねえ、ケンジ君のところはお父さん何してるんだい?」とパパが聞いた。

「うち?オトンは漁師やねん。」

「ぞうさんより大きい船なんだって!」とカナが言った。

「そう、マグロ取ってるねん。」ケンジはちょっと胸を張って言った。

「そりゃすごい。マグロ漁師さんて大変なんだってね。何ヶ月も帰ってこないだろ?」

「うん!オジサンよぉ知っとるなぁ。」

「おお、知っとるよぉ!アレは男の仕事だな。」

「そうやねん!ありがとう!」とケンジは嬉しくなって大きな声で言った。

「そういえば、ケンジくんのママって・・?」とカナが聞いた。

「あ、うち、オカンおらんねん。」と、さも当然そうにケンジが答えた。

「え?」

「いや、随分前に死んでしもうてん。俺を生んだときに死んだんやって。だからオカンがいたことがないねん。でもな、うち姉ちゃんが14歳と11歳離れてるから、オカンみたいなもんやで。でもカナのオバアみたいに料理上手くないからナァ。」

「ケンちゃん、そんなん言うてると、姉ちゃんに怒られるでぇ。」とバアバがいった。

「まあ、せやから正直ちょっとうらやましいわ。」とケンジがいつになく神妙な口調でカナに言った。その言葉に一瞬風が止まった。

(第28回へつづく)

   シーン28

「ごちそうさま!」カナが一番早く食べおわって大きな声で挨拶した。

「おお、早いな。カナ。」とパパがカナの頭をなでながら言った。

「うん、あのね、カナとケンジくんとボビーでね、パパに見せたいものがあるの。ちょっと準備するから、あとで見てね。」とカナはボビーを抱きながら言うと、パパのホッペにキスした。

「お、分かった。楽しみだナァ。」

「ケンジ君も早く!」

「おお、あ、ごちそうさま!」
ケンジもあわてて食事を終わらせ、カナと一緒にダイニングから出て行った。

「もういいよぉ!」

カナの大きな声がした。パパがダイニングと和室の間のふすまを開けると、そこには、机や椅子をひっくり返して少し高めにした舞台の周りに、ダンボールや画用紙で装飾した
パペット劇場が作ってあった。
周りにはカナとケンジが書いた、等身大ぐらいの大きな大きな家族の絵が貼ってあった。

「おお!」
と大人たちは、子供達が作ったパペット劇場のできばえにビックリした。

「あ?あれ僕だね。で、となりの赤い服が真理子かな?山にいるのはお父さんで、台所にいるのはお母さんですね。・・・・ネコと一緒にいるのはカナとボビーだね。」

とパパはビックリして言った。

 ドコドコドコドコ

何か洗面器をドラムロールのように叩く音がして・・。

「はじまるよ!」

という甲高い声をきっかけに、緞帳代わりに吊ってあった青い布が落ちた。

すると中から、金色と銀色の折り紙で装飾された舞台が出てきた。

大人たちはみんな、居間に座布団を持ってきて座った。

そして・・・。

『ようこそ!僕の名前はボビー』

とボビーが舞台上から飛び出してきた。さらに、紙コップ製のマリオネットも一緒に出てきた。

「おお、ボビーが動いた!」

とパパがビックリすると、ママが

「手足にひもがついてるわよ。カナがマリオネットみたいに動かしてるのよ。」

とあっさり答えた。パパはそれを聞かない振りして、

「カナいいぞ!」と叫んだ。

 

ボビーは、いかにもカナが動かしているマリオネットであるかのように見えるために意識しながら、カクカクと動いた。さらにカナの声を真似して叫んだ。

『今日は、ボクがみんなのために歌って踊るよ!いいかな?』

「・・・・」大人たちはモジモジして答えなかった。

『ん、もう。みんなぁ!もう一回聞くよ!いいかな?』

「イエーイ!」とパパだけ反応した。

『じゃあ、ミュージックスタート!』

ボビーが、叫ぶと舞台脇でケンジがテントウムシの形の子供用レコードプレーヤーに針を落とした。

流れてきたのはチャイコフスキー「くるみ割り人形」の「トレパーク」だった。

  ♪ ダン ダダダダンダン ダン ダン ダ〜ン!

    ダン ダダダダンダン ダン ダン ダ~ン!

という印象的なイントロのフレーズにあわせて、ボビーが唄いだした。

  ♪ ボビーの 好きなぁ も の は〜

    ボビーの 好きなぁ も の は〜

     まあるい ドーナツ

     四角い トースト

     甘くて ふわふわ たまごやき!

歌詞に合わせて、ドーナツやトースト 卵焼きをダンボールに書いたプラカードを、ケンジが動かすマリオネットが掲げた。

「私の卵焼きやね。カナ!」とバアバが弾んだ声を出した。

   ♪ ボビーの 好きなぁ も の は〜

     ボビーの 好きなぁ も の は〜

       お絵かき おひるね

       お歌に おゆうぎ

       なにより みんなで いることさ!

ボビーはなおも唄っている。

「カナって歌が上手かったのね。」とママが言った。

「そうだね。それにボビーの動きもすごく自然だ。」とパパも続けた。

   ♪ バアバの 好きなぁ も の は〜

     バアバの 好きなぁ も の は〜 なに?

とボビーはバアバに振った。バアバはあわてながら

   ♪   金目の 煮付けに

       ごぼうの 炊いたの

       それから、やっぱり あじのひらきぃ

と、声を裏返して、字あまりながら何とか唄った。パパもママもジイジも、バアバのあわてた様子に大笑いした。

   ♪ ジイジの 好きなぁ も の は〜

     ジイジの 好きなぁ も の は〜 なに?

「え?俺はいいよぉ」といいつつジイジも立ち上がって唄いだした。

   ♪   キリンに サッポロ   

       アサヒに サントリー

       とにかく ビールが 大好きヤァ!

そういうと、空ビンを一本掲げた。ママとバアバが呆れたような顔をして見合わせた。

「あ、これ空だ、仕方ないナァ・・」とジイジは歌の途中にもかかわらず中座した。

    ♪ ママ〜の 好きなぁ も の は〜

      ママ〜の 好きなぁ も の は〜 なに?

しかし、ママの声は聞こえなかった。

カナは「あれ?」と舞台から覗き込むと、ママが居間の座布団に正座して腰掛けたまま目を閉じて、じっと考え込んでいた。

「ママ、ママの番だよ!」とカナは言ったが、
ママはまだ目を閉じていた。
旋律だけがただ流れていた。

 

そして誰もが黙り込んだまま「くるみ割り人形」の「トレパーク」の曲が終わってしまった。和室には、レコード針がむなしくシャーシャーと溝の無いところを走っている音だけが、
響いていた。
ママは顔を覆ったまま。黙り込んでしまっていた。
その時カナは、外でネコが鳴く声を聞いた。

 ミャ~

それは、カナには

「しっかりと言わなくちゃいけないよ!」と叫んでいるように聞こえた。

ボビーと目が合うと、ボビーも力強く「うん!」とうなづいた。
カナは大きく深呼吸をすると、

「ねえ!」

と舞台を降り、パパとママに向かって大きな声で語りかけ始めた。

「あのね、カナはね、パパもママも大好きなの!パパもカナが好きでしょ?」

「うん。」

「ママもカナが好きでしょ?」

「・・・。」

「ママ!」

「うん。」

「カナは、パパとママが仲直りして欲しいの!お願い!カナのことが好きなら仲直りして!」

カナはパパとママを交互に見つめた。しかしパパもうつむいてしまった。

「いや、しかしカナ、これはパパだけでは・・。」

すると、ママが深呼吸して顔を上げ、初めてパパの顔をじっと見た。
誰もが次の言葉を探していた。

「どうする?真理子。」パパがママに向かって静かに言った。

「話し合うもなにも、・・・・あなたはどうしたいの?ここでも優柔不断なの?」

「真理子・・。」バアバが口を挟もうとしたが

「母さんは黙ってて!」とママは強い言葉で制した。

「あなたは、今日だってここへ来て、明るく振舞ってるけど、私と真剣に向き合おうとしないじゃない?あなたは一体どうしたいの?」

「・・・・。」

「パパ。」

カナは息を呑んで、パパをじっと見た。パパはそんな心配そうなカナを見て、
にっこりと
笑顔を作って、口を開いた。

「俺は・・・。」

その次の言葉を一同は注意して待っていた。

「俺は、やっぱり真理子とカナがいる家族をやり直したい。頼りないかもしれないが、
俺には二人が必要だ。俺はやり直すために、今日ここへ来たんだよ!当たり前じゃないか!」

「ちゃんと、真剣に私たちのことを考えてくれる?」ママは言った。

「もちろん。だってこんなにカワイイ娘を泣かせられないだろ?」

「そうね。」

「じゃあ、二人、とりあえず握手しなさい。」
とバアバが珍しく標準語でパパとママに話しかけた。
パパとママはお互い少し躊躇したが、そのモジモジぶりになんだかおかしくなって、
笑顔で握手をした。

「やった!」カナはパパとママに抱きついた。

「ゴメンねカナ。」
「ありがとう。」
パパとママはカナを抱きしめて、親子
3人が一つになった。

「なんかうまそうなン見つけたデェ。」

その時ジイジがのんきな声を上げて戻ってきた。
その瓶を見て、カナとケンジと、それからボビーもビックリして

「あ!それは!」と声を上げた。

それはトマスじいさんからカナがもらった、オレンジのビンだった。
3人が止める間もなく、ジイジは栓抜きをあてがって、

 スポン!

「あああ!」とカナが言うと、そのオレンジのビンから
ドライアイスの煙みたいなものが
あふれた。

「おお、冷えとるんやぁ。」
とジイジはそのビンをコップに傾けると、中からオレンジ色した液体が流れ出た。

「ん?これ、ビールか?変わった酒やな。」
といいながらジイジは一杯飲みほすと、ビックリした用に目を見開いて、

「な、な、なんじゃこりゃ!」と大声で叫んだ。

「なぁに、なぁに?この大事なときに。」と呆れたようにバアバが言うと、ジイジが

「まあ、いいからお前これ飲んでみろ。美味い酒じゃぁ」

とコップに注いだ。

「全く。私が離婚したいわ。」

といいながら、一口飲むと、

「うわぁ!な、なにこれ?」

とバアバも、びっくりして声を上げた。
パパとママもバアバにグラスを持たされて、一口ちょっと飲んだ。

すると、

「えっ!」とパパとママは思わず顔を見合わせた。

「うまい!」

お互いに高潮した顔で、思わずその味に顔がほころび、目を見つめ合った。

「じゃあ、これで乾杯しよう!」とバアバが言って、パパ、ママ、ジイジ、バアバのグラスにそのお酒を注いだ。

「カナも!」

「カナはお酒はダメ。はい麦茶!あ、ケンちゃんも出ておいで。」とバアバがカナとケンジにもグラスを持たせた。

「じゃあ、乾杯の音頭とってぇな。」バアバはジイジに仕方なさそうに言った。

「ええ、ではご紹介に預かりました、私こと不肖佐々木剛三。齢65にして・・。」

「ああ、もう長い長い。せ〜の!」バアバが痺れを切らせてさっさと音頭をとった。

「かんぱ〜い!」

 

その時、再びレコードから「くるみ割り人形」が流れ出した。

    ♪ カナちゃんの 好きなぁ も の は〜

      カナちゃんの 好きなぁ も の は〜

その歌声はボビーだった。ボビーはもう自分で動いていた。

大人たちは、ボビーが自分で動いているのに気がついて、きょとんとした顔をした。

カナは精一杯の大きな声で歌った。

    ♪ パパも 大好き  

      ママも 大好き

      みんなで 一緒に 遊びたい!

「だって、カナはみんなと一緒にいたいんだもん!」

カナがありったけの声で叫ぶと、バアバが手に持っていたオレンジのビンからプク~っと風船が現れた。それは次々に青・赤・黄・緑・紫・オレンジ・水色の風船が7個出てきた。

「な?なんじゃそりゃ?」とジイジが叫んだ。

一個一個の風船はジイジ・バアバ・パパ・ママ・カナ・ケンジ・ボビーの脇にふわふわと寄り添った。

「よ〜し、乗っちゃえ!」とカナは、風船に飛び乗った。カナの載った赤い風船はプカプカと1メートルぐらいの所を漂った。

「おれも!」とケンジも飛び乗った。

「みんな風船に乗ってみて!」とカナが叫んだ。

「え?乗れるの?」といいながらパパが青い風船に飛び乗ると、風船はちょっと揺れたが

グッとパパを支えて60センチほど浮いた。

「すげぇ、浮いてる。」とパパは驚いて言った。

「おお、乗ってぇぇのんか?」とすっかり酔っ払っているジイジも紫の風船に飛び乗って

「うぉぉ、浮いたぞ!浮いたぞ!」と驚嘆の声を上げた。

「バアバもママも乗りなよ!」とカナは風船に乗ったままママの肩を叩いた。

「え・・。」とママは躊躇していたが、パパを見て笑って、

「それ!」と飛び乗った。

奥ではジイジがバアバの手を取って、風船の上にエスコートしていた。

最後に、ボビーが、

『ボクも乗っちゃえ!』と一人で赤い風船に飛び乗った。

「あれ?やっぱりボビーが一人で動いてる?」とパパは不思議そうに目をこすった。

「ほら、ボビーはゼンマイ仕掛けだから動くの!」とカナはパパにウインクした。

ボビーは右手を上げて大きな声で、

『しゅっぱ〜つ!』と掛け声をかけた。

すると・・・、

風船たちは一列に並んで、縁側から夜の空へと飛び出した!

 

 ボビーの風船を先頭に、7つの風船が風を切って飛び上がり、やがて島の全景が分かる高さまで浮かび上がった。

「うわぁぁ。」とジイジは声を上げながら、バアバの左手を右手でエスコートしていた。

「夜風が気持ちいいねぇ。」とママがパパに言った。

見ると、海がキラキラと月明かりに蒼く照り映えていた。
水平線では漁船のいさり火が見えていた。

パパがママの手を取って、

「真理子。覚えてるかい?この歌。」

と唄いだした。

    ♪ 月夜の海に 二人の乗った ゴンドラが〜

すると、ママが

「昭洋さん、今は違うわ。」

と歌詞を変えて唄いだした。

    ♪ 月夜の海に みんなの乗った 風船が

      音もたてずに 浮かんで 行きます〜

「そうだね。」とパパもママにウインクをして二人で歌いだした。

     ♪ 月夜の海に みんなの乗った 風船が

       音も立てずに 浮かんで いきます〜

ボビーとカナもその歌にあわせてコーラスを始めた。

     ♪ 月夜の海に (ラララララ〜)

       みんなの乗った 風船が (ふうせんが〜)

       音も立てずに (ル〜ルルルル〜)

       浮かんで 行きます〜

みんなの歌声が、静かな静かな、光に満ちた半月の空に響き渡った。

 

「あ!」ケンジが大きな声を出して指差した。

見ると、たくさんの風船をつけたバスケットが月に向かってふわふわと飛んでいくところだった。

「あ、おじいさ〜ん!ありがとう!」とカナは大きく手を振った。

カナの目にはトマスおじいさんがカナのほうに向かって手を振る姿が見えた。
バスケットに表札がかかっていた。

カナはみんなに、

「ねえ!あのおじいさんが、みんなを治してくれたのよ!」と指を指して叫んだ。

パパは、その表札を見て、

「なんでも なおします トマスじいさんの ふしぎな おみせ・・ かぁ。」

とポツリとそうつぶやいた。

 

7色の風船は、虹のように寄り添いながら、島の上空でいつまでも浮かんでいた。

(第29回につづく)

    シーン29

  『ふうせんりょこう』

『きょう、パパがとうきょうからきました。

カナがふうせんに、てがみをつけてとばしたら、そのあかいふうせんさんが

パパをつれてきてくれたのです。

ケンジくんとボビーとカナは、うたをうたいました。

パパはとってもよろこんでくれました。

とちゅうでジイジが、カナのビンをビールとまちがって あけちゃいました。

カナのビンからは、すごくおいしいおさけがでてきて、パパもママもバアバも

びっくりしていっぱいのみました。

そしたら、ビンからふうせんが7コ出てきて、みんなでそらをフワフワとさんぽしました。

とってもうみがきれいでした。

パパとママはけんかしてたけど、なかなおりできたみたいです。

 

でも、きょうおきたら、パパもママもジイジもバアバも、ぜんぜんきのうのことを

おぼえていないそうです。

フツカヨイ っていうびょうきで、あたまがいたいそうです。

でも、カナはおぼえています。

パパとママは「ごめんね」っていっていました。

なかなおりでしょ?それって。                                   

 

『カナちゃん、今日の絵日記はずいぶん長いね』

絵日記を描いているカナの隣で、机の上に寝転がってほほ杖をつきながらボビーが言った。

「だって、みんな何にも覚えてないって言うんだもん。カナがちゃんと書かないと。」

『でも、良かったね。』

「うん。」

とボビーとカナはレースのカーテンを開けて窓の下を見た。

夏の太陽の下で、パパとママがお庭の畑を、手をつなぎながら歩いていた。

『仲よさそうだもの。パパさんとママさん。』

「ボビー、ありがとう。」

 ギギギギ

『あ、もうすぐ、ゼンマイが切れちゃう。』

「ボビー。」

『ン?なぁに?』

「だいすき。」

 カチッ

ボビーが満面の笑みを浮かべたところで、ちょうどゼンマイが切れた。

 

                            〈了〉 





連載小説

ゼンマイ仕掛けのボビー

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作  岡田倫太郎

2008年9月21日より  3日おきに 29回 更新します